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桜 [2009/04]

桜の季節。
デジカメや携帯電話で桜の写真を撮っている人をいっぱい見る。
sakura.jpg
俺も桜を撮る。
でもうまく撮れたためしがない。
寄っても、引いても、なぜか目で見るような
浮き浮きとした誇らしげで楽しい感じが撮れない。
まっこと、桜の写真は難しい。

キャラが立つ、という言葉がある。
キャラを立てる、という使い方もよくされる。
漫画業界では特によく使われる。
一般的にもなにかと使われる。

「明日の合コン、俺、植木職人のキャラ立てて勝負してみるよ!」とか。

キャラが立つ、という言葉を、仕事上、
まあ俺も若い頃はなにかと使っていて、

「主人公を個性的で魅力的にしよう」
「独自性を持っていて他に変えがたい存在を作り上げよう」
「匿名的な発言じゃなくて特異性のある発言にしよう」

みたいな意味で使っていて、
ま、それはそれで間違いではないんだろうけど、
言葉の本質は掴んでいなかったと今は思っている。

「キャラが立つ」という言葉の意味は、
「キャラが読者の目の前に立っている」ように感じる、という意味なのだ。

漫画の話で言えば、
それがものすごくキャラに感情移入させたい漫画ならば、
「まるで自分自身がそのコマに立っている…」ということになるし、
神の視点を持って描いている漫画ならば、
「地図の真ん中にいつもヤツが立っている…」ということになる。

だから
「キャラが立つ」ことは、いつも気にするべきことであり、
ある意味目標でもあるのだと思う、漫画家にとって。

桜の写真、特に桜の単体を撮っていていつも感じる
歯がゆさとかもどかしさは、
その辺と関係あるのではないかいな?
と、この前花見をしていて思った。

桜って、キャラが立ってないモノなんじゃないかと。

みんな見ているようで、どこ見ているのかわからない感じあるし。

小さな花一つ見て、まあきれいなんだけど、だからって
「これが桜の素晴らしさだ!」とは言えないし、
だだだだだーっと池の周りに立ち並ぶ百本の花を見て、
すげえなーとは感じるんだけど、
それは風景を見ているのであって、
実は桜自身にピントはあってないみたいな。

漫画というのは、
コマ一つで、
小さな花一つの表情も見事に描かなきゃならないし、
でっかい風景の迫力も表さなきゃつまらないし、
で、
目の前に立っている、ように感じさせなきゃ面白くないし、
ホントに大変な表現手段だなあと思う。

だからすげえんだけど。



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