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通知表 [2011/07]

小学校1年生の1学期が終わった。
haijimaneko.jpg
長男が初めて、通知表を持って帰ってきた。

開けて中を見るとき、なんとなく緊張した。


4月、入学してちょっと経った頃に
“学校開放”というのがあった。

二日間、
親や近所の人が学校に行って授業の様子を見ることができるのだ。

自分の子供が受けている授業だけではなく、
どの学年のどのクラスの授業でも自由に見学できる。

体育の授業ではいっしょに体操した。
算数の授業では、黒板の前に親も並んだりして、
学習にちょっと参加したりもした。

その学校開放の時、
授業を受けている子供や
休み時間、校庭で遊ぶ子供たちを見ながら思った。

小学校というのは、
社会に対する信頼感を身に染みさせる場所なんだなーと。

6歳になった次の春、学校に入る。
基本的に、みんな入る。
おんなじように勉強をする。
おんなじように勉強をさせられる。

今の日本では当たり前のことなんだけど、
その経験はどんな言葉よりも強いと感じた。

ああ、大人たちとかは平等に
成長するチャンスを与えてくれるんだ…
仲間と出会ったり、
その仲間といっしょに遊んだり勉強したりする機会を
バックアップしてくれているんだ…

子供たちはそういうことを頭で理解するわけじゃなく、
経験として覚えていく。

社会を信頼してもいいんだ。
大人どもを信頼してもいいんだ。
出会った仲間たちも信頼していいんだ…と。

ま、この“信頼感”というのは、
年をとっていくと見失ったりしてしまうことも多いし、
様々な不安が多い今の世界では
崩れてしまう危険性もけっこう高いと思うのだが、

とりあえずは、
“信頼できる社会に生きている”
というアイデンティティーは
子供たちにとって、とても大事だと思った。

俺が子供の頃、
終業式が終わって通知表を持って帰ると、
親や祖母ちゃんはそれを見た後、
必ず仏壇に供えていた。

ご先祖様に報告していた、というか。

あれは、学校というもの、
教育というものに対する感謝を示す行為だと
ずっと思ってきたけれど、
今考えるとそれ以上の思いがあるのかもしれない。

特に祖母ちゃんには。

駄菓子にパン、タバコや洗剤まで売っている
小さな商店をやっていた祖母ちゃんは、
孫である俺たち兄弟だけじゃなく、
他人の家の子供である近所の子供もよく叱っていた。

仏壇に線香をあげながら、
そこに置かれている通知表を見て、
誰もが学校に行ける社会になったことに
感謝していたのかもしれない。

かけがえがない、
ありがたいと思っていたのではないだろうか。


長男の通知表は、
ビックリするくらい平均点だった。

おおお、これすごいじゃん!とホメたり、
ここはもっとがんばれ!と叱咤激励したりしたいと
思っていたのだが、
あんまりにも平均値で、拍子抜けした。

もしもあの厳しい祖母ちゃんが
長男の通知表を見たら、
なんと言ってホメたり叱ったりしたんかなー?



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