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『のび太のひみつ道具ミュージアム』 [2013/03]

子供たちになんか言う時に、
できれば言いたい言い方がある。
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例えば、
サッカーのキックの仕方を教える時、

「膝から下を後ろに引っ張ってから蹴らないとダメだよ」
という言い方と、
「膝から下を後ろに引っ張ってから蹴ったら点が取れるよ」
という言い方があって、
できれば下の言い方をしたいと思っている。

けれど、気を使っているにもかかわらず、
上の言い方、
つまりは

「○○しないとダメだよ」
「○○しなきゃいけないんだよ」

的な
“否定終わり”のしゃべり方になってしまうことが多い。

「ちゃんと片付けないと捨てちゃうよ」
とか
「宿題をちゃんとやらないと自分が困るよ」
とか
「ウソをつくと泥棒になるよ」
とか。

こういう否定的な言い方、
“ダメになっちゃう”とか“損をする”とかの言い方は、
実はすごく簡単で、
瞬間的には説得力もあったりするので、
ついつい頼ってしまう話し方・考え方なのだが、
できれば、
もっと肯定的に明るくしゃべりたいと心がけている。

子供たち相手だけじゃなく、
大人相手の時でも。


ドラえもん映画の新作
『のび太のひみつ道具博物館』を観た。

驚いたことに、
今回の話には“悪党”がまったく出てこなかった。

その代わり、
事件の発端となるのは
“ダメな人間”だった。

よくある手法と言えば手法なのだが、
今回のドラえもん映画では
その手法がすごく新鮮に感じた。

俺にとってその理由は、
このドラ映画が、
さまざまな部分で
『鉄腕アトム』をモチーフにしているからだと思う。

飛べる長靴。
角の生えた巨大ロボット。
二人の博士とその名前。
膨張していく太陽……
雲に乗っているのジャイアンとスネ夫は
『ぼくの孫悟空』からだろうか。

映画を観ていると、自然に
『鉄腕アトム』のコミックを読みたくなったり、
古いアニメを観たくなったりした。

そして、手塚治虫のヒューマニズムが
心にじんわりよみがえってきた。

これはもちろん俺の感想だけど、
手塚治虫は
”悪役”を作って“善”や“正義”を描く物語を嫌っていたか、
もしくはとても苦手としていたのだと思う。

だから、
『鉄腕アトム』は読んでいて、
なんだか苦しくなってくることがときどきある。

物語の構成上、
この“悪役”は必要だけれど、
ホントは“悪”じゃなく描くことはできなかったのだろうか?
もしかしたら可能だったんじゃないだろうか?

そんな作者のジレンマみたいなものを感じてしまうのだ。

だから、
アトムの瞳は、とっても澄んでいて可愛いのだけれど、
奥の方には悲しみが映し出されている。

お互いをわかり合うことで、
事件や問題を解決できないのだろうか…
という儚い希望が静かにきらめいている。

そんなことを思い出させてくれたので、
このドラ映画を観ている時、
今までにない気持ち、
なんだか新鮮な気分を抱くことが出来たのだ。


ついつい、子供や大人に対して

「○○しなきゃダメじゃん」

と言ってしまいがちで、
ま、それでもいいんだけど、
できればそのあとに

「○○したから素晴らしいじゃん」

と付け加えていきたいなと
映画を観た後にあらためて思った。

「ダメじゃん」と言いながら
「イケるじゃん」と言ってくれる
仲間がいると、
やっぱりしあわせなのだ。

のび太にとってドラえもんだったり、
ドラえもんにとってのび太がいるように。





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