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『テルマエ・ロマエ』 [2013/04]

録画してあった映画『テルマエ・ロマエ』を観た。
okinawakamisamamen.jpg
観ていると、
いろいろ喚起される映画だった。

冒頭、
ジャジャジャジャーンと音楽が鳴ると、
チャールトン・ヘストンの
映画『ベン・ハー』が観たくなる。

主演の阿部寛や
ハドリアヌス皇帝の市村正親、
北村一輝や宍戸開などが
ローマ人の役で日本語を普通に喋ってるのを観ると、
なんとなく
カーロス・リベラや
ホセ・メンドーサの顔が浮かんできて、
漫画『あしたのジョー』が読みたくなる。

そして、もちろん、
ずっと観ていると、
でっかい風呂に入りたくなり、
どこか温泉に行きたくなった。

で、考えた。

俺が今まで行った中で
「最高の温泉」って
どこだったのだろうか? って。

なーんて考えながら、
くだらない問いだな、
そんなん考えても意味ないな、とも思った。

「温泉」という言葉の世界は範囲が広すぎるのだ。


まず、「温泉」に入る時の
自分自身の体調や心境によって、
その気持ちよさは違う。

キャンプの後、疲れた体で入る
奥多摩とかの温泉はもちろん気持ちがいい。

息子ふたりと一緒に入る温泉は
楽しい部分もあるが、
一方でかなり疲れる面もある。

前に行って
ずいぶんと気持ちよくて癒された温泉が、
もう一度行った時には
なんかすごく混み合っていて、
もう二度と行きたくないななんて思うこともあった。

また、
温泉には「旅館」というのが
ついてくる場合もある。

その場合の「温泉」は、
温泉自体の気持ちよさより、
女将さんや仲居さんの優しさ、
料理の美味しさなどが重要になってしまい、
果たして
「お風呂が良かったのか」
「宿泊できたのが良かったのか」
よくわからなくなることが多い。

だから、
『テルマエ・ロマエ』を観ながら、
「最高の温泉」に入りたいなーなどと思ったのは、
ま、
ちょっとした勇み足、
気の迷いのようなもんだろう。

俺にとって、
「最高の温泉」など存在しないのだから。

と、理屈では分かっていても、
今一番どこの温泉に入りたいんだろ、俺…
などと、記憶探索が止まらない。

そして、行き着いたのは、
函館のチンチン電車に乗って、
終点のところにあった「谷地頭温泉」だった。


20年ほど前だと思う。
函館に競馬旅行に行った時に偶然入った
公営の日帰り温泉。
いわゆる日帰り温泉施設というより「温泉銭湯」。

服を脱いで、
ガラス戸をあけて浴場に入って、

「ここはもしかして極楽か!?」

と思った。

茶色い湯気のむこうに
でっかい湯船があって、
その中におじいちゃんがいっぱいいた。

だらーっと、
半分死んでるみたいな感じで
お湯に浸かっているおじいちゃんたち。

時間の流れが止まっている感じだった。
それまで見たことのない風景だった。

別世界に足を踏み入れてしまった…
その感じに
ものすごくドキドキしながら
風呂に入った記憶がある。

帰りに飲んだ牛乳はとびきりうまかったが、
それは、
カラダだけじゃなくて、
心の奥まで火照っていたからだろう。

ちょっとした冒険気分だったのだ。

今、あの「谷地頭温泉」は
リニューアルされて、
雰囲気は変わっているらしい。
それでも、
たくさんのおじいちゃんたちが
黄泉の国へ片足を突っ込んでる感じで
湯船に浸かっているのだろう。


映画『テルマエ・ロマエ』は
べつに「最高の映画」というような映画ではなかった。

観る人によって、
面白いところはずいぶん違うだろうし、
二回観たら
またべつの楽しさを発見するかもしれない映画だと思う。

それは、
「最高の温泉」というものが
存在しないのと同じだと思う。


一つ感心したのは、
上戸彩の顔と肩のあたりの肌を、
艶っぽく撮っていたところ。

撮影の仕方がうまいのか、
照明の具合が素晴らしいのか、
はたまた上戸彩自身の肌がもともと綺麗なのかわからないが、
いわゆる

「温泉に入って、肌がつるつるぷりぷりになって、
 カラダの奥から火照っている」

感じに、とっても臨場感があって、
いっしょに風呂に入っている気分にさせてくれた。

そして
「今一番いっしょに風呂に入りたい女優って誰だろう?」
なんてことを考え始めてしまって……

ぐるぐるぐるぐる
くだらない思考が続いていくのも、
まあひとつの
温泉の良さなのだと思う。


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