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映画村旅 [2009/04]

京都に三泊、大阪で二泊の旅に来ている。

京都では、太秦の東映映画村で、
仮面ライダーの原寸大人形に感激し、
黒沢明や内田叶夢ら日本映画人の遺品を眺める。

大阪では、USJで、
デロリアン号に乗って叫んだり、
ジョーズに襲われたりしてびしょ濡れになったりしている。

あと、京都駅前では手塚治虫なんとかで
「鉄腕アトム」のアニメを観て泣いたりしている。

大船の松竹「寅さんミュージアム」がまだあれば、
帰りに絶対寄るのになあ。
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チャーの番組 [2009/04]

夜中にふとケーブルテレビのチャンネルを変えたら、
チャーとジェイク・シマブクロが競演していた。
char meets.jpg
『チャー meets 誰々』というシリーズの音楽番組。
ギタリストのチャーと誰かが二人で演奏する。
今回のゲスト、ジェイク・シマブクロはウクレレを弾いている。

なんて楽しそうなんだ。
そして聴いて見てる俺もなんて楽しくなるんだ。
ビックリした。で、思った。
音楽家っていうのも作家なんだなーと。

「作家」という言葉には、昔からなにかと反応してしまう。
もしかしたら、
自分が「作家」というものに憧れとかがあったのかもしれない。
あるいは、
「作家」という言葉にコンプレックスがあるのかもしれない。

今現在、俺個人の作家の定義は、

「0から1が作れる人」んでなおかつ
「9から10にきちんとする人」となっている。
完成した作品、商品が10という意味で。

作家というのは小説家だけでなく、いろんな世界の作り手。

例えば漫画家。
物語やキャラを生み出すのが、0から1。
下書きしてペン入れして背景入れて完成原稿にすれば9から10。

俳優なんかも作家だと思っている。
芝居や映画の0から1を生み出すのは今、
脚本家や監督・演出家というより役者の場合が多いのではないか。
あて書きとかあるし。
また、舞台やカメラの前で表現したことがダイレクトに伝わる場合、
やはり9から10にしてるのは俳優の場合が多いと思う。

野球の場合で言えば、
第一球を生み出す人=投手は作家であるが、
打者は作家ではないと言わざるを得ない。

ただ、『ドカベン』なんかだと、
岩鬼が一番バッターで物語を生み出して
最後は山田が捕ったりしてゲームセットになったりするわけで、
あの明訓なんかは
チーム自体が作家と言えるかも知れない。
そういえば、大事な試合は
明訓の先行が多いような気がする。

その視点から考えると、
“親”というものは作家ではない。
“子供”というものの0から1を生み出すのは、
ま、言ってしまえば親の役目だが、
絶対に完成できない。

だから子供を作品のように思って
一瞬育てたりしてしまうのは明らかに間違い、
そんな風な当たり前のことに気づいたりする。

なによりさ、
その姿はチャーやジェイク・シマブクロのように
楽しそうではないだろうし。

作家というのは、
何かを作っているその姿が
はたから見ても楽しそうなものなんだと思う。






『ひまわりっ』 [2009/04]

モーニングに連載中の漫画、
『ひまわりっ』を単行本で読んでいる。
himawari.jpg
三日前、小さな古本屋に5巻と6巻が売っていたので買って読んで、
昨日は、中型の新本屋で1巻と2巻を買って読んだ。

ソフィア・ローレンとマストロヤンニの
映画『ひまわり』とは全然違うし、
伊藤咲子の『ひまわり娘』とも全然関係ない実録風ギャグ漫画。

ほとんど実話だと作者の東村アキコが書いている。
信じられない。
こんなに愉快な人たちが暮らしている場所があるんだ。

『友子の場合』のギャグ漫画家、
藤野美奈子もそうなのだが、
宮崎県の人はとっても変で、アンドとっても楽しそうで
笑いの才能があふれているなあと勝手に感心してしまう。

知人の宮崎県人は、最近、
よりを戻そうとした女の人が実は結婚していたと知り、
大変ショックを受けている、
らしいのだが、
他人から見るとどうもギャグに見えてしまう。

さて、
「なんで3巻と4巻は買ってないの!?」
と妻に怒られそうな予感がするので、
本屋さんにでも行って来るか。

『みいつけた!』 [2009/04]

カエルの歌が続いている。
ikea.jpg
まず最初に長男がひいて、
次の日から次男がひいて、
次の次の日に母親がひいて父親がひいて。

風邪の輪唱。
発症二日目くらいに体温が40度近くまで上がって、
その状態が二日間ほど続いて、
その後、36度台の平熱まで戻って、
ああやっと治ったと安心したと思ったら
その次の日また39度くらいまで上がって
体も気持ちもダウンさせる。

これを4人で輪唱しているわけで。
永遠に続きそうで、もう心ぐるぐる。

NHK教育、この春の新番組で
『みいつけた!』というのが始まって、楽しんで観ている。

宮藤官九郎作詞の椅子体操の歌、
『なんかいっすー』ってのも楽しいが、
エンディングテーマの『みいつけた!』が
なんと言ってもゴキゲン。

トータス松本作詞作曲で
トータスが歌うタマゴの唄。

風邪をひいているせいか、
歌詞にぐっと来て、
熱いものがこみ上げたりして困る。

この歌にハマっている長男も、
「ずっと頭ん中で続いてるのよ、『みいつけた!』が」
と言って、飯食いながらふんふん歌っている。

それが続いているのはまあいいんだけど、
とりあえず風邪のほうのカエルの歌を
まずはお前がストップしてくれ。
たのむよ。

三度目の体温上昇があるんじゃないかと思うと
明日の飯の献立がどうもビシッと決まらん。



 [2009/04]

桜の季節。
デジカメや携帯電話で桜の写真を撮っている人をいっぱい見る。
sakura.jpg
俺も桜を撮る。
でもうまく撮れたためしがない。
寄っても、引いても、なぜか目で見るような
浮き浮きとした誇らしげで楽しい感じが撮れない。
まっこと、桜の写真は難しい。

キャラが立つ、という言葉がある。
キャラを立てる、という使い方もよくされる。
漫画業界では特によく使われる。
一般的にもなにかと使われる。

「明日の合コン、俺、植木職人のキャラ立てて勝負してみるよ!」とか。

キャラが立つ、という言葉を、仕事上、
まあ俺も若い頃はなにかと使っていて、

「主人公を個性的で魅力的にしよう」
「独自性を持っていて他に変えがたい存在を作り上げよう」
「匿名的な発言じゃなくて特異性のある発言にしよう」

みたいな意味で使っていて、
ま、それはそれで間違いではないんだろうけど、
言葉の本質は掴んでいなかったと今は思っている。

「キャラが立つ」という言葉の意味は、
「キャラが読者の目の前に立っている」ように感じる、という意味なのだ。

漫画の話で言えば、
それがものすごくキャラに感情移入させたい漫画ならば、
「まるで自分自身がそのコマに立っている…」ということになるし、
神の視点を持って描いている漫画ならば、
「地図の真ん中にいつもヤツが立っている…」ということになる。

だから
「キャラが立つ」ことは、いつも気にするべきことであり、
ある意味目標でもあるのだと思う、漫画家にとって。

桜の写真、特に桜の単体を撮っていていつも感じる
歯がゆさとかもどかしさは、
その辺と関係あるのではないかいな?
と、この前花見をしていて思った。

桜って、キャラが立ってないモノなんじゃないかと。

みんな見ているようで、どこ見ているのかわからない感じあるし。

小さな花一つ見て、まあきれいなんだけど、だからって
「これが桜の素晴らしさだ!」とは言えないし、
だだだだだーっと池の周りに立ち並ぶ百本の花を見て、
すげえなーとは感じるんだけど、
それは風景を見ているのであって、
実は桜自身にピントはあってないみたいな。

漫画というのは、
コマ一つで、
小さな花一つの表情も見事に描かなきゃならないし、
でっかい風景の迫力も表さなきゃつまらないし、
で、
目の前に立っている、ように感じさせなきゃ面白くないし、
ホントに大変な表現手段だなあと思う。

だからすげえんだけど。



クリスタルカイザー [2009/04]

ずっと「クリスタルカイザー」だと思っていた。
「水晶の皇帝」という名前の水。
suishounokoutei.jpg
CMを見て、ビヨンセの名前が思い出せなくて、
グーグルで検索して、間違いに気づいた。

「クリスタルガイザー」。

春の甲子園、センバツ。
長崎の清峰と岩手の花巻東が戦って、
1対0で清峰が勝って優勝。
ガキの相手をしながらテレビを眺めていたのだが、
さすがに8回9回は声を出してしまい、
1歳児が目を丸くしていた。

甲子園の高校野球を見るときには、
一応、応援する高校を決めながら見ている。

東京、しかも吉祥寺に近い高校が出ていれば、熱く応援する。
故郷の長野県の高校はその次の次の次くらいの応援度。
正直どうでもいい感じになっている。
次に重要なのは、ピッチャーのルックス。
カッコいい上に巧くてカワイイ投手ががんばっていると応援してしまう。
ただ、できれば準決勝か決勝では負けてもらいたい。

あふれる涙が見たい。
その気持ちを抑えられなくて。

今回の決勝戦は、投手戦だった。
左右好投手の投げあい。
でも、どちらもルックス的に夢中になる感じではなくて、
応援の決め手としては、
その地方の印象になってしまった。

岩手。
盛岡に行ったときにはたまたまお盆で店があまり開いてなく、
どうも相性が悪い感じが残った。

長崎。
何度か行っているのだが、ちゃんぽんが美味い。
飲み屋であった若者も親切にしてくれたりして、
かなり相性がいい感じだった。

ということで、どちらかというと長崎を応援していたのだが。

最後のレフトフライが上がったときには、
岩手にもう一度行ってみたくて仕方なくなっていた。
特に花巻。

自分の中に巣食ってしまった“印象”が覆る瞬間というのは、
実はとっても甘美。
そのチャンスかもしれないなーと。

「水晶の皇帝」ではない水を飲むたび、
岩手に行きたくなるかもしれない。



定額給付金 [2009/04]

仕事から家に帰ってきたら
ちょうど12時を回って4月1日になったところ。
teigakukyuhukin.jpg
パソコンの上に、届けられた郵便物。
三鷹市役所からの「定額給付金」のお知らせ。

エイプリルフールに合わせて送るなんて
なかなか洒落たことするなあ、
などと思いながら封を開けてみたら
ウソじゃなくてホントに金を給付されるらしい。

父、母、息子ふたりで6万4千円なり。

この金を使ってどんなウソをついてやろうか。

昔、吉田戦車の漫画のキャラクターで、
「みっちゃんのお母さん」という最高のウソツキがいた。

一度しかない親人生ならば、
ああなりたいものである。

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