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日産・ウイングロード [2012/12]

大げさな言葉になるが、
死ぬまでにもう一度食べたい肉がある。
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ホゲット肉。
羊の肉だ。

10年くらい前に
秋田県の藤里というところで食べた。

「ホゲット」というのは
羊自体の動物的種類ではない。

子羊のラムと大人羊のマトン……
その間の一年間、
1歳から2歳までの羊をホゲットと呼ぶのだ。

義理の弟の結婚式に呼ばれて
秋田の能代に行った帰り、
ちょっと足を延ばして食べた。

最寄りの駅からタクシーに乗って山の中へ。
一時間ほど走ってもらっただろうか。

ようやく到着した
キャンプ場横のバーベキューハウスで、
このホゲットを焼いて食べた。

噛むと牛乳のような風味がする。
肉自体も甘い。
羊肉特有の匂いもあるのだが、
イヤなものではなく、
ビールとかワインがぐいぐい進む匂いだ。

もともと羊肉は、
ラムもマトンも好きなのだが、
このホゲットというやつは
ホントにピッタリきた。

俺個人にとってだが、まさに絶妙なのだ。
肌が合う、
というのはこういうことを言うのだと思った。


理想のクルマ探し、というのは
この“肌が合う”クルマを探すことなのだろうなと思う。

なのだが、
実は今まで、完璧に“肌が合う”クルマには
出会ったことがない。

最も近い感じだったクルマが
日産のウイングロードだった。

伊豆大島のレンタカーで借りたクルマ。

もともとボックス型のミニバン、
日産のセレナを予約していたのだが、
予約が被ったとのことで
代車として臨時で貸してもらったクルマ。

たぶん、10年以上はレンタカーとして
活躍してきたのだろう。
正直、かなりボロボロだった。

エンジンはなんかガクガクするし、
加速もハンドルもスムーズじゃないし、
カーナビはもちろんついてないしで、
最初はちょっと心配だった。

でも、島をぐるぐると回っているうちに
カラダにピッタリ合ってきた。
長めの車体も小さく感じられてきた。

3世代6人がギュウギュウ詰めになって
山を登ったり、
海沿いを走ったりするうちに、
なんだかすごく楽しくなってきたのだった。

ジャストフィーリング。

ただそれは、そのウイングロードが、
島を走り続けてきた中古車だから
その時の俺にピッタンコだったんだろう。

ちょっとしたクセを味わうのが面白い上に、
手垢がついて薄汚れた感じが、
肩がこっていた俺を
とてもリラックスさせてくれたのだと思う。


秋田の藤里まで行って、
もう一度、ホゲット肉を食べた時、
俺はどんな感想を持つのだろうか?

やっぱりピッタンコだと思うのか。
あるいは、
ちょっと違うなと思うのか。

美味しいもの探しやクルマ選びには
別の考え方もある。

憧れるような特別な相手を想定して、
それにピッタリくるように
自分を変えていくという考え方だ。

いつかはクラウン、とか、
金持ちになってベンツを転がす、とか、
フランスに行って三ツ星を食べる、とか、
京料理の老舗を堪能する、とか。

ま、とりあえず
秋田でホゲット肉をたらふく食ってから
考えるとするか。



トヨタ・プリウス [2012/12]

雪が降り出したというニュースを見ると、
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20年くらい前、新潟に行ったことを思い出す。

ある日、突然、
一人で新幹線に乗って新潟まで行った。

競馬やなんかで
新潟には前からなじみがあって、
まったく知らない土地ではないのだが、
その日、
なぜ新潟を目指したのかは、謎だ。

もしかしたら
新幹線でどっか終点まで行きたかったのかもしれない。

東北新幹線だと終点が終点らしくないし、
東海道新幹線で博多まで行くとかなり遠いし、
長野新幹線が出来ていたかどうかは不明だが、
できていたとしても
故郷に帰る気分ではなかっただろうし、
自然のなりゆきで
新潟行きの「とき」かなんかを選んで乗ったのかもしれない。

もう暗かった。
新潟駅を降りて、
近くのビジネスホテルに行ったら運よくシングルが空いていて、
チェックインして、
そのすぐ近くの寿司屋で
競馬新聞を眺めながら日本酒を飲み、
刺身と寿司をつまんで、
それから、北へ歩いた。

万代橋を渡って、
古町を越えて、
ずっとずっと歩いていくと上り坂があって、
そして、海に出る。

日本海。

雪に埋もれて濡れたビーチサンダルの足が、
キンキンに冷たかったことはよく覚えている。


トヨタのプリウスに乗っていると、
いつも考えてしまうことがある。

「俺は、このクルマを愛せるのだろうか?」
あるいは、
「俺は、このクルマに乗っている自分を愛せるのだろうか?」
と。

そんな問いがいつも目の前にあるのだ。

いや、目の前にはもちろん道路とか信号とか、
ヘビみたいな目をしたクルマの後部ライトとか、
渡ろうとして困っているおばあちゃんとかがいるのだが……

そのもっと手前に、
電気を使ったり貯めたりしているのを示している
エコ的なメーターがあって、
それを自然に目にしてしまうのが
プリウスというクルマなのだ。

だから、運転中、
脳の10%くらい、
心の30%くらいを占めているのが、

「俺は環境にいい、エコなクルマを運転している」

というなにげに事実っぽい情報なのだ。

つまり、
プリウスに乗っているという状態は
「地球にやさしい」
という思想に乗っている状態と言えるのだ。

実際、本当に「地球にやさしい」かはおいといて。

すると、
人間はいつの間にか啓蒙されてしまうもので、

「できるだけガソリンを使わないで行く道を探そう」
とか、
「余計な寄り道などせずに効率的に走ろう」
とか、
「残りのガソリンで目的地まで何とか走り切ろう」
とか、

俺にとってはどうでもよかったことを、
あたかも本来の目的であるかのように
自分に押し付けている自分がいるのを発見するのだ。

しかも偉そうな顔をして。

で、さっきの問いが頭の周りをくるくる回る。

「俺は、このクルマを愛せるのだろうか?」
って。


冷たい足で歩きながら、
地面にぺたぺたとビーサンの跡がついていくのを見て、
ダラダラと涙を流していた。

ホント、バカみたいな話だが。

たぶん、
仕事とか女とか将来とか過去とかがフン詰まり状態で、
それを流し出そうとしていたのだろう。

1時間くらい泣き歩きしたあと、
スッキリした気分で
新潟名物のおでん屋さんで、
元気に働くお姉さんたちを見ながら
おでんを食べたような気がする。

今、考えてみると、
泣くための旅だったのだと思う。

もうそんな旅はしないかもしれないし、
そんな旅をしている自分を
昔のように好きでいられるかどうかわからないが、
その時はその旅が必要だったのだろうし、
旅に出れる自由があったことは
とってもラッキーだったなと思う。


今度、プリウスに乗る機会ができたら、
無駄な道をいっぱい通って、
ガソリンをどんどん使って、
目的地なんかも決めないで、
寄り道だらけの旅をしてみたいと思う。

そこで初めて、
俺がプリウスを愛せるかどうかの
答えが見つかるのだろう。



スズキ・スプラッシュ [2012/12]

小学2年生の長男が「九九」に泣いている。
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このところ、
毎日、宿題で「九九の練習」がある。

俺が子供の時とは違っていて、
下から読むだけではない。

例えば、一般的な
「2×1=2、2×2=4、2×3=6……」
というのは
<2ののぼり>
という読み方。

逆に
「2×9=18、2×8=16、2×7=14……」
と読んでいくのは
<2のくだり>。

また
<2のバラバラ>
という名のランダムな読み方もしたりする。

2から9まで、
それぞれ<のぼり><くだり><バラバラ>で
覚えていくとのこと。

で、学校の授業で、
<2ののぼり>だの<6のくだり>だのを
ちゃんと唱えることができると合格、
表組みに<合格シール>を張っていくのだ。

ま、宿題としては
「九九」の表を手に、
課題の段を何回か声に出して読めばいいだけなのだが、
それが長男にとっては
たまらなくイヤなのだという。

金曜の夜が大変だった。

最初はぐずっているだけだったのだが、
だんだんエキサイトしてきて
苦しい、胃が痛い、とか言い始めて、
とうとう勝手に号泣し始めたりした。

「ああ、もうしたいことをする時間がない!」

「宿題が俺を壊す!」

などと勝手な論理を繰り広げた上、

「もうこの心の傷は治らないんだ!!」
とか叫んだりしている。

大げさだなーと
思わず笑ってしまったりすると、
バカにされたと感じるのか、
そりゃもう大変なことになるので、
しかたがない、
真面目な顔をして説得する。

面倒なこと、
大変なことに立ち向かうのは難しいし、
時にはつらい。
俺も経験があるからわかるけれど、
逃げるわけにはいかないよ、
逃げてたら余計苦しくなるだけだし、
それにさ、
どうせやらなきゃならない、
お前自身、
宿題から逃げきれないのはわかってるだろ?

みたいな。

ま、そんな話をしても
だいたい逆効果で
火に油を注ぐだけなのだが。


今まで乗ったクルマで
一番運転が簡単だったのが、
スズキのスプラッシュ。

免許取りたての妻が、最初に借りたクルマ。

もうほとんど軽自動車じゃん!
というサイズの小型車。

スピードを出すのには向いてないが、
くるくるくるくると
その辺の街中を走りまわるのにはぴったり。

とんでもなく狭い道だろうが、
超混んでる隣り車線への車線変更だろうが、
高級車がずらりと並ぶ駐車場に
一つだけ開いていた狭いスペースへの駐車だろうが、
全然平気。

どんなところへでも、
なんのストレスも感じないで
ちょいちょいと入っていける。

まるで俺の大好きな
チャリンコのようなクルマなのだ。


夜8時、
いつもなら子供たちは布団に入る時間。

涙で「九九」に対する怒りと
宿題に対する文句を叫び続けている長男に、
とりあえず言いたいことを最後まで言わせて、
一息ついたところで、
夕食用のマカロニサラダをひとつくれてやる。

クリスマス仕様、
木とか、靴とかをデザインした
変わりマカロニで作ったサラダ。
刻んだゆで卵にキュウリに……
あ、まだ、ハムとか入れてないけど、まあいいや、
ささっと塩こしょうして、
ごま油とマヨネーズで和えて、
箸でつまんで口に運んでやる。

パクッ。

思わず食べてしまう。

長男に一つ。
横で見ていた次男にも一つ。
もう一度、長男。
すかさず、次男。

5つくらいずつ口に入れてやると、
なんだか落ち着いたらしく、
すっとぼけた顔で「九九」を練習し始めた。

まずは、もう合格していて
練習する必要のない
<5ののぼり>から唱えていく。

当然なのだが、
素晴らしい早口で<5ののぼり>をしゃべったあと、
まだまだ覚えていない
<2のくだり>やら
<7ののぼり>やらに挑戦していく長男。

そうだよなー、
大切なポイントは、
「とっても簡単」なことから始めるということなんだよなー
と思った。

マカロニサラダはとにかく食べやすい。
覚えて合格した九九の段ならペラペラ行ける。
スズキのスプラッシュで走った道には
大きいクルマでも入っていける気がする。


やればあっという間に終わる宿題を終え、
いっしょに風呂に入っていたら、
長男がなんとはなしに告白していた。

九九の「合格シール」の貼られ具合が
クラスで後ろから二番目らしい。

で、一番遅れている女の子は、
風邪で休んでいたらしく、
実質、クラスで一番覚えが遅いのだそうだ。

ははあ。

「どうせ俺なんかダメなんだよ!」
と号泣していた理由がわかった。

翌日、
親子3人、公園をチャリンコで走りながら、
いっしょに「九九」を叫んでみた。

スーッと走って行って、
サドルの上に立ちながら、
「しちいちはしちー!」

長男はサドルから尻を外して、
片方のペダルに乗ってバランスを取りながら
「しちにじゅうしー!」

まだまだ、
「九九」地獄は続いていくのだが……

通りがかる人たちが
笑っていてくれて、
ずいぶん気持ちが軽くなりました。



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