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2015女子ワールドカップ決勝戦 [2015/07]

女子ワールドカップ、
決勝戦、なでしこはアメリカに敗れた。
2-5。
日本の選手は悔しいだろうけど、
俺にとっては
とても見どころの多い試合だった。

ゲームの後半、
3点差を追って闘うなでしこを観ながら
すげえなーと息を飲んでいた。

試合終了の笛が鳴った時、
とんでもないものを見せてもらったなと
じんわり涙が出た。

感動したのは
なでしこの「共有する力」だった。


サッカーだけじゃなく、
仕事なんかでもチームプレーで闘うものは
次の2つの「共有力」が
チームの戦闘力を決めると思っている。


1.どんな「戦術」で闘うのか…?

自分達のチームの戦い方を「共有」することは
闘いの第一歩目でもあるし、
同時に、共有できる「戦術」を育て上げたこと自体が
大きな自信の源になる。


2.今、この瞬間どんな「プレー」をするのか…?

グランドの上で、現場で、
瞬間瞬間、湧き上がってくる仲間たちの
アイデアやイメージを
できるだけ素早く確実に「共有」できることが、
簡単には揺るがない守備力につながり、
壁を突破する強さとスピードにつながる。


この2つの「共有力」で闘うのがサッカーだし、
その「共有力」が勝敗を左右するところが、
プレーしていて、
あるいは観ていて、
サッカーのとても面白いところなのだが、
実はもう一歩先に
もっと難しい「共有」がある。

それが、

3.みんなどれだけ「闘志」を抱いているのか…?

の「共有」だと思う。


勝ちたい!
負けられない!
あきらめない!
全力を出し切る!

「闘志」にはいろんな表現があるのだが、
実は、その「闘志」の量は人によって違うし、
上記の2つ、
「戦術」や「アイデア」のような具体性が
「闘志」には存在しない。

だから、どんなに声をかけあっていても、
互いの顔を確認しても、
「闘志」を心底確認し合うことは無理だと思う。


特に劣勢の時、
3点差で負けている時には、
本当にまだ「闘志」を抱いているのか、
もう闘う気持ちを失いつつあるんじゃないのか…
なんて、
仲間のことを微妙に疑ったり、
不安に思ったりしてしまう。

どんなに信頼し合う仲間だとしても
不信感を持ってしまうものだと思う。


例えば、仮の話だけど、
ここに漫画雑誌の編集部があるとする。

まず、
漫画家のラインナップや編集長の考え方などから
編集方針を決めていく。
一、食やセックスなど五感に訴える題材。
一、映画やTVドラマなど実写映像化を狙える物語。
一、キレイな線のアニメ絵よりも個性的な絵柄。
一、読者に近い等身大の人間よりも、一歩先を行くヒーロー型の主人公。
例えばだけど、これが「戦術」。
これは編集部で共有することができた。


その「戦術」を胸に秘めて
各編集者たちは漫画家に会いに行く。
漫画家が持っているイメージや能力を
フルに発揮してもらって
ヒット作品を生み出してもらえるようにと。

頭脳を懸命に回転させながら
打ち合わせをし、
ネームをダメ出ししながらアイデアを出す。
これでもかこれでもかとパスを出す。
漫画家も編集者に刺激されながら、
最高の作品が描けるように次々とシュートを打つ。
なかなか決まらないがそれでも打つ。
打っているうちになんとかゴールが決まる。
これが「瞬間のプレーイメージ」の共有。


ここまではなんとかなる。
逆に言えば、ここからが問題。

どうにか1点は取ることができたけれど、
どうにも劣勢。
なかなか売り上げは伸びない。
読者が増えていかない。
ドラマ化しても思うように単行本が売れない。

編集部内にだんだん不安と疑惑が広がっていく。

どんなにがんばったって、
売り上げは伸びないんじゃないか?
もう漫画の読者は増えないんじゃないか?
そもそも大ヒット作品を出したり、
売り上げを伸ばそうなんて言う考え方自体が
意味ないんじゃないか…!?

まわりをこっそり見回す。

私はまだ「闘志」を持っているけれど、
他の編集者たちはもう
すでにあきらめているんじゃないだろうか…!?

そんな疑惑が心を支配し始める。

なぜなら
「闘志」を確認し合うことは
とても難しいから。
自分と仲間が同じくらい「闘志」を持っているかどうかは
本当のところはわからないから。

言ってしまえば
「闘志」を「共有」することなんて、
ありえないのだ。


けれど、
ワールドカップの決勝戦、
なでしこの「闘志」は素晴らしかった。
確かに彼女たちは、
「闘志」を最後まで「共有」して
闘い抜いているように見えた。


「もう勝てないかも…」という気持ちは
3点奪われた時点で
それぞれの胸に芽生えただろう。

それでも彼女たちは走る。
不安や疑惑を抱えているヒマはない。
同点、逆転するために
かけがえのない時間なのだ。


それを観ていて俺たちは気づく。

「闘志」なんていうものは
もともと持っているもんじゃないんだ。
はなから「共有」しているものでもないのだと。

仲間も、そして自分自身も
失いそうになっているのを
お互いに感じているからこそ、
湧き出させるのが「闘志」なのだと。

自分のために。
そして、仲間のために。

だから、観ていて勇気が湧く。
「闘志」を「共有」して走っている
選手たちを見て感動する。


敗戦直後のインタビュー、
涙を流しながら話す
キャプテン・宮間の言葉がぐっとくる。

「最高の仲間です」

その通りだなと思う。

「闘志」を失わなかったからこそ
「悔しくて」涙が溢れ出すのだ。
「闘志」を最後まで共有できた気がするからこそ
「最高の仲間」なのだ。


宮間は日本人女子サッカーの未来を
心配していたけれど、
きっと大丈夫だと思った。

4年前、
「最高の歓喜」を目にしたサッカー少女たちは、
今回、
「最高の悔し涙と闘志」も目撃できたのだ。
強くならないわけがない、
宮間の顔を見ながら、そう思った。


決勝戦、
テレビで観ていた俺の中のMVPは、
近賀ゆかり。
出場はしなかったけれど。

前半33分、
澤と交代した岩清水がベンチに帰ってくる。
顔を手で抑えて号泣している。
4失点が悔しくてたまらないのだ。
責任を感じて涙が止まらないのだ。

その顔を両手で強くはさむ近賀。
ベンチの隣りに座らせて
岩清水の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
そして、
撫でながら近賀は、
自分の顔を上げて、
まっすぐにグランドを見つめる。

慰めているようで、慰めてはいない。
励ましているのだ。
「闘志」を失うなと、あきらめるなと。
岩清水を。
仲間たちを。
そして、自分を。


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