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南相馬・山元旅行記 その3 [2015/09]

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再び山元トレセンへ。

事務所から調教の様子を見ながら、
馬と対面する時間を待つ。

トラックへ向かっていく馬の列の中に
一口馬主で持っている2頭のうちの
1頭がいると教えてもらう。
騎乗者が黄色と黒の帽子を被っている馬。

トラックを駆けあがってくる。
首を上げて上下に振っている。
折り合っていない。
騎乗者のいうことを聞いていないのだ。

相変わらずヤンチャだなあ。

その様子を見て、独り言を言って、
やっと笑顔を取り戻せた。
自分のことながら、
人間ってホント身勝手なもんだ。


馬に対面するため、厩舎へ行く。
車の後ろに乗せてもらう。
と、運転席の場長さんが
助手席に座っている人を紹介してくれた。

中舘ジョッキー!
いや、中舘調教師だ。

「妻が大ファンなんです!」

興奮丸出しで挨拶をして、一緒に厩舎へ。

2頭の馬を厩舎から出してもらい対面。

鼻面をなでたり、
額をこすったり、
写真を撮ったり、
首を叩いたり、
「ケガすんなよ」
と声をかけたりして、逢瀬終了。
ほんの10分程度だが、
とてもしあわせな10分だった。


トレセンを離れる時、
中舘調教師にお願いして
一緒に写真を撮らせてもらった。

「このレースで勝てなければ処分されてしまう…
 そういう馬を、
 ギリギリのところで勝たせることができる
 調教師になるのが目標です」

去年の12月、
調教師試験に合格した時の
そんな感じのコメントを思い出した。

中舘調教師は騎手時代、
ローカルで強いジョッキーだった。
福島競馬場では特に強かった。

最後に、もう一つだけ…
と、握手をしてもらって別れた。


さてと、東京へ帰るか。

山元インターから高速に乗って南下。
<南相馬PA>で休憩。
どうしようかな…ちょっと迷ったが、
そのままスマートICで高速を降りて、
南相馬の<道の駅>へ。

なみえ焼きそば、海苔のお菓子、
野菜に多珂うどんを買って、
名物のほっきめしのおにぎりと
アイスまんじゅうを食べる。


そして、やっぱりちょっと迷ってから
国道6号を南下していく。

去年の9月に通行規制が解除されて
全面開通となった道。
帰還困難区域を南北に貫く道だ。
そこを車で走っていく。

南相馬市から浪江町、
双葉町、大熊町、富岡町を通り抜ける。

途中、国道6号から脇に入る道には
まんべんなくゲートが設置されていて、
防護服姿の警察官が立っている。

昨日、南相馬へ向かう高速道路で
すれ違った警察の大型車両、
あれに乗っていたのは
この警備にあたっていた警察官かも
しれないな、と思う。

道沿いには
大型レストランやスーパー、
ガソリンスタンドなどが並んでいて、
想像していたよりずっと
にぎわっていた場所だったのだと知る。

震災がなければ
家族連れなんかでこの日も
にぎわっていただろう。

助手席の妻は周囲を見ながら
「死の町みたいで怖い」と言う。

昔、子供の頃に観た
映画『カサンドラクロス』を思い出す。


帰還困難区域を通り抜け、
楢葉町を通過、
広野インターチェンジから高速に入る。
正直、ちょっとホッとする。

なんだか疲れて、
茨城県に入ったらすごく眠くなって、
サービスエリアで
妻に運転を代わってもらった。
大泉の高速出口を出るまで
ぐっすり眠ってしまった。


帰ってから三日後。

思い切って、
山元町の中浜小学校について
インターネットで調べてみた。

あの小学校に避難した子供たち、
そして先生や近所の人たち90人が
全員助かったということを知った。

http://www.pref.miyagi.jp/uploaded/attachment/12385.pdf


この校長のリポートを読んで、
なんというか、
うまく表現できない気持ちで
胸がいっぱいになって、
そのなんとも言えない気持ちは
今も心の中にある。


中浜小学校。
放射性廃棄物質の黒い袋。
飲み屋のマスター。
一本松。
チャリンコの高校生。
ワタリガニ。
西原さんの絵。
中舘調教師の笑顔。
雨に濡れた馬の皮膚。
帰還困難区域の道路。
防護服の警察官とゲート。
4年前に日帰り温泉で会った少年。


そういう記憶というか
映像みたいなものも、
胸の奥底のほうで
ぐるぐると渦を巻いている。


この旅行記の“デザイン”はまだ決まらない。
ずっと決まらないままかもしれない。

ただ、この文章を書きながら
なんとなく感じていることがある。

知り合いの若い人たちや
自分の子供や友だちの子供たちが、
なにかのきっかけで
南相馬や山元に行けますようにって
秘かに願っている。

そう願う理由は
やっぱりよくわからないけどね。

    終わり

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その1から読む→

南相馬・山元旅行記 その2 [2015/09]

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JR原ノ町駅近くの
ビジネスホテルにチェックイン、
夕飯を食べに外に出る。

路地裏に美味そうな店を見つけた。
のれんをくぐり扉を開ける。
残念ながら満席だそうである。

もう少し探す。
扉を開ける。
やっぱり満席だ。

結局、4軒のお店を訪ねたが、
どこも一杯で入れなかった。

お盆で帰郷した人が集まってんのかなー…。

魚屋さんの前を通ると、
刺し盛りを買いに来ていたお客さんがいた。

家で宴会をする人もいるんだろうな…。


裏通りのほうに行って、
小さな店の扉を開けた。
カウンターと小上がりがあって、
お客さんはいなかった。
カウンターで食事をとっていた奥さんが
急いで食器を片づける。

夫婦でやっているお店らしい。
俺よりちょっと上の年齢かな…
とか、内心思いながら
カウンターに座って
生ビールとおつまみを注文した。

枝豆のガーリック炒めとか
脂の乗ったカレイ焼きを食べながら
マスターと話をした。

「除染に来てんのかい?」

いや、明日、山元に行って馬に会うんですよ。

そう答えたら、
珍しそうな顔をして、

「山元だったら下道で行っても時間は変わらないね」

と教えてくれた。

南相馬野馬追のポスターが貼ってあったので
どんな感じか訊いてみた。

馬や衣装を自分で持っている人もいるけど、
レンタルする人もいるそうだ。
馬と衣装、合わせて50万円くらいとか。

「まあ、野馬追はね、
 見てもそんなに面白いってわけじゃないよ。
 祭りだからね、やる方は面白いんだろうけど。
 俺は一度見に行って、それから行ってない」

少し皮肉っぽい口調のマスター。
でも、ダンディーでなかなかカッコいい。
8年前、南相馬にやってきて、
この店を始めたそうだ。

「まあ、旗を背にして走らせる競馬は
 なかなか迫力あるけどね」

さっき、海のほうへ行ってきたんですけど、
宮城県の石巻や気仙沼に比べて
復興が進んでいない気がしました…と言ったら、

「賠償金があるからねえ…」

と、困ったような笑うような顔をした。

除染もまだ終わってないのだ。

実際、このお店も
除染の仕事で南相馬に来てるお客さんで
普段はいっぱいらしい。
この夜はお盆でガラガラだったけど。

「料理はなんでも500円!」
黒板にそう書いてある。
その字を見ながら思った。
今、この街は景気がいいのだ。

いつか除染が終わって、
防潮堤などの工事も終わった時、
南相馬にはどんな仕事があるんだろう。
若者たちはどうやって暮らすんだろう。
そんな話もしながら飲んだ。
生ビールからレモンサワーへ。

マスターによると、
夕方、海岸沿いで見かけた
チャリンコ高校生が釣っていたのは
スズキらしい。
火力発電所の近くは海があったかいんで
大きい魚が釣れるんだと笑う。

震災の時、
この店にいたマスターは
津波が来ているのを知らなかったとのこと。

警報も連絡も何もなくて、
津波が押し寄せている様子をテレビで見て
初めて津波が来ていることを知って
びっくりしたらしい。

1時間くらい飲んで話をして、
お店を出た。

「南相馬に来たらまた寄ってよ」

そう言って見送られた。
もちろん飲みにに来ますよと思った。


少し歩いて、もう一軒、
かなり懐かしい感じの居酒屋を見つけて入った。
広い座敷に結構お客さんがいた。
ほとんど男性。
しかもみんなよく食べそうな感じ。

「注文は紙に書いてくださいね」

と、お店のお姉さん。
かなり疲れている感じだった。
というか、実際、
料理や飲み物をたくさん運んで
体力が消耗しているのだろう。

でっかいソーセージなどをつまんで、
日本酒を少し飲んで、
ビジネスホテルに戻った。

二軒目の居酒屋、
「名物!」と書いてあったラーメンを
ちょっと食べてみたかった。



翌8月13日。

予定より1時間早く、午前7時に宿を出発。

飲み屋のマスターの進言に従い、
高速道路ではなく、下道を北へ行く。

「一本松行った?
 下道行くなら寄ってくといいよ」

マスターに言われた通り、
一本松を見に行く。

「かしまの一本松」。

津波が樹木をなぎ倒していった中、
生き残った「奇跡の一本松」。
陸前高田の一本松が有名だが、
この南相馬市鹿島区にも立っている。

今にも雨が降り出しそうな曇り空。
どこかからカラスの鳴き声が聞こえる。
スマホで写真を撮って、
一本松にじゃあねと別れを告げる。


南相馬市から相馬市へ入る。

海沿いの小さな砂浜に釣り人がいる。
6本くらいの竿が並んでいる。
一人の釣り人が遠投する。
飛んでいく道糸の先、
なんだか網のようなものがついている。

車を止めて、
砂浜に降りて行って声をかけた。

何を釣っているんですか?

「カニ」

日に焼けた顔のおじさんが蓋をめくって
四角いバケツの中を見せてくれた。
大きなワタリガニが3匹入っている。
そのサイズにビックリした。

「魚よりこっちの方がうまいんだよ」

確かにこれほどでっかいカニなら
相当美味しいだろうなと思った。


しばらく北上していくと、
工事中の防潮堤に「釣師浜漁港→」と書かれた
看板があって、
その脇に狭い入り口があった。
砂利道に入っていくと、
とても整備された漁港があって、
二組の若い「釣師」が車を止めて竿を出していた。

ちょっと様子をうかがったけれど、
何も釣れてはいないようだった。
ポツポツと雨が降り始めた。


海沿いの道から国道6号線を入り、
北へ走っていくと、
10分足らずで宮城県に入り、
山元トレーニングセンターの標識も目に入った。

トレセンの駐車場に車を止める。
調教トラックへと向かう馬たちが
一列に歩いている。

約束の午前9時までまだ30分以上ある。
雨は強くなっている。
濡れて待っていても仕方がないので、
とりあえず、一旦トレセンを出て、
亘理町と山元町を車で走る。

国道沿いでスイカが売られている。
山元町の名産なのだ。
冬にはイチゴも収穫できるらしい。
海岸のほうへ脇道に入ると
イチゴ狩りの看板とハウスが見えた。


そのまま海沿いを走っていたら、
小学校の校舎と体育館が見えた。
真っ平らになった海岸にポツンと建っている。
建物自体はしっかり残っているが、
窓ガラスは全部割れている。
横に慰霊碑らしきもの。

「山元町立中浜小学校」。

横をゆっくりと通る。
津波でどれだけの子供たちが亡くなったのか…
被害を勝手に想像して、黙り込んでしまう。

そのまま
トレセンへの道を進んでいこうとしたが、
山を抜ける道が通行止め。
来た道を戻ることにして、
もう一度、中浜小学校の前を通った。

忘れられない光景だなと思った。


→その3へつづく
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南相馬・山元旅行記 その1 [2015/09]

minamisoma.jpg

文章にも“デザイン”がある。

文体だとか、構成だとか、
どんなふうに入り口を入るのだとか、
どんなふうな出口にするのだとか、
まあ、
読んでくれる人が持つ印象を考えること、
どんな気持ちや気分で読んでくれるか想像すること、
それが俺にとって文章の“デザイン”。

そいつが腑に落ちないと、
なかなか文章が書き出せないのだが、
あまりモタモタしてると
あったことを忘れてしまったり、
記憶を自分の中で変えてしまうので、
思い切って書き始めてみる。

まだ“デザイン”は決まってないんだけど。


お盆に、福島県の南相馬と
宮城県の亘理郡山元町に行った。

山元町に
サラブレッドのトレーニングセンターがあって、
自分が一口馬主になっている馬が2頭、
たまたまそこで調教されているので、
妻と二人で会いに行ったのだ。

都合よく、
子供たちもジジババの家へ泊まりに行ってるし。
敏感な競走馬がいるところに
うるさい子供を連れていきたくないのだ。


なるたけ山元の近くまで行って
前泊しようと思っていたら、
南相馬のホテルに空きがあった。
珍しいなあと思いながら、予約した。


2015年8月12日。

朝から少し仕事をして、昼前に出発。
高速道路が渋滞していないか心配していたのだが、
外環道や常磐道はさほど混雑していなかった。

福島県のいわきジャンクション。
ここから北へ、
いわゆる「浜通り」を行く。
今年の3月に全線が開通した高速道路を走る。


放射線被ばく量を計るモニタリングポストがある。
ちょっとドキッとする。
雨に濡れた森の中を走っていく。

「もしこういう深い森に放射能が降り注いだら、
 除染し切るのって難しいっていうか
 無理なんじゃないか」

などと話しながら運転する。

いわき市を過ぎて、広野町・楢葉町に入る。
サッカーのトレセン、
Jヴィレッジがあるところ。

震災直後の2011年5月、
福島県猪苗代の日帰り温泉で出会った
うちの長男と同い年の少年と、
その家族の顔を思い出した。
楢葉町から猪苗代に避難していたのだ。

おしりに蒙古斑が残っていた
あの人懐こい少年は、
今も元気に笑っているのだろうか。


常磐高速道、反対車線を
警察の輸送車がすれ違っていく。
機動隊とかの人員を乗せるバスみたいなヤツ。

最初の一台では、
運転席にいる警察官と助手席の警察官が
なごやかに談笑しているのがちらりと見えた。

その後の二台では
神妙な顔をしてまっすぐ前を向いていた。

この先一帯で
けっこうお巡りさんが配備されているんだな
と思った。

<ならはPA>でトイレ休憩、
自販機で水を買う。
ここにもモニタリングポスト。


高速道路が橋の上を走る。
と、両側が急に妙な景色になる。

黒い袋が一面に並んでいるのだ。
放射性物質汚染廃棄物の袋だろう。

緑深い森の手前に「黒い絨毯」。
その景色はかなりショッキングで、
正直、暗澹たる気持ちになる。

このゴミを
今後どうすればいいんだろう。
もしかして、
このままこの場所にどんどん置いていって、
日本中が見て見ぬふりをするように
なるんじゃないか……
などと思ってしまう。

富岡インターから
浪江インターに入るあたり、
モニタリングポストの数値が
ぐっと上がった。
少し緊張するが、普通に通り抜ける。


午後3時過ぎに南相馬インターを降りる。

降りてすぐ、
右側に大きめの魚屋さんが見えた。
宴会場もあるらしい。
市街へ走っていくと
何軒も魚屋さんが目に入る。

どんどん個人経営の鮮魚店が
閉店していく東京に住んでいる俺としては、
なんだかうれしくなってくる。
魚屋さんが好きなのだ。

福島の浜通りは
美味しい魚が水揚げされることで有名。
だから魚屋さんが多いのだろう。

福島の漁業はまだ休漁中なのだが。


夕飯までにはまだ時間があるので、
南相馬市博物館に行く。

相馬野馬追の等身大ジオラマが迎えてくれた。

展示物で南相馬の歴史をざっと学んで、
特攻で亡くなった南相馬出身の人の手紙を読んで、
南相馬市の四季を知る映画を観て、
それから
特別展の『大武者絵展』を見た。

もともと収蔵していただろう
昔の「野馬追の絵巻」とともに、
いろんな漫画家やイラストレーターの描いた
「武者絵」が並んで飾ってある。
合計204点だそうだ。

その中で、
ひときわ異彩を放っていたのが
西原理恵子氏の武者絵。
いつものタッチでのんきに描いてある。

でも、気持ちはすんごく入っている気がした。


帰り際、受付で気になっていることを訊いてみた。

野馬追の馬は普段どこにいるんですか?

「馬? 馬を飼っている家にいますよ」

基本的に一緒に暮らしているのか。
ま、当たり前と言えば当たり前だけど。


まだ時間があったので
ホテルにチェックインする前に
海岸方面へ車を走らせてみた。

海岸沿いは防潮堤が建設されている最中。
お盆のせいか、重機は動いていない。
閑散としている。
通行止めの部分がまだたくさんある。

かつては住宅や農地があっただろう土地、
広がっている空き地を見ながら、
あまり復興は進んでないなあと思った。


薄暗くなってきた中、
火力発電所の近くを通った時、
3人の男子高校生がチャリンコに乗って
帰るところに出くわした。

手には竿。
チャリのハンドルから数匹の魚がぶら下っている。
すぐそこの海か河口で釣りをしていたのだ。

何を釣ったのかと
声をかけようと思ったけど間に合わなかった。
楽しそうにしゃべりながら
チャリンコを漕いで行ってしまった。


→その2へ続く

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