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『おみおくりの作法』 [2016/04]

映画『おみおくりの作法』を観た。
higasinakano.jpg
録画しておいたやつ。

ロンドン、
孤独死した人の縁者を探し、
葬式を出し、
墓に埋葬する係の民生職員、
ジョン・メイの物語。

44歳。

彼自身もひとり暮らしで、
孤独に暮らしている。

ある日、
上司から解雇を言い渡される。

ジョンは、
最後の仕事として、
40日くらい前に孤独死してしまった男の
娘や友達を探すことに取り組む。

その男は、
自分が暮らすアパートのちょうど向かいに住んでいたのだ。

全然別の人生だが、
その部屋を見ていると
どうしても自分の人生とリンクしてしまう部分がある。

娘の写真が貼ってあるアルバムを手に
男の知り合いを訪ねていく。

孤独死した謎の男が抱えていた
「孤独」と「希望」に触れながら、
自分自身の「孤独」を噛みしめ、
「希望」が芽生えていく瞬間を見つめていく。


この映画を観る人は、
まあ、自分の人生に照らし合わせたりしながら
いろんな見方をするんだと思う。

主人公・ジョンの孤独に人ごとではないと思う人。

彼が探す謎の男に自分を重ねる人。

アルバムに貼ってあった娘に会いたいと願う人。


俺は、映画を観ながら
なんとなく自分の仕事について考えていた。

やっぱり仕事したら
誰かに喜んでもらいたいな、とか。

死ぬまで仕事し続けるのかな、とか。

子供たちが自分で働き始めるまでは
仕事している姿を見せた方がいいのかな、とか。

仕事して稼ぐ金って
どのくらいがいいのかな、とか。


個人的には、
主人公のジョンが、
パブでひとりぼっちでテーブルに座り、
カウンターで飲んでいる人々……
誰かと一緒に生きているひとりぼっちじゃない人々の様子を
微笑みながら見つめて、
ウイスキーを飲んでいるシーンが好きだ。

ジョンの淋しさと人への愛しさがよくわかるし、
そういう気持ちで仕事をしているからかもしれないと
ちょっと思った。

たぶん、
それは俺だけじゃなくて、
多くの人が胸にしまっている
気持ちだと思うのだ。


フジヤマケンザン [2016/04]

フジヤマケンザンが亡くなりました。
bokujounoki.jpg
競走馬。
サラブレッド。

28歳だそうです。
老衰でしょう。

俺にとっては思い出深い馬で、
なんとなくその名前を思い出しては、
自分の人生を比べたりしてきた馬。

「フジヤマケンザンに少しは近づけているかな」

みたいな。


20年くらい前、
雑誌の企画で、

吉祥寺の飲み仲間や仕事仲間からカンパを募って、
その集まったお金を
競馬で一点買いして勝負する!

というページを作ったことがあります。

当たったらみんなでどかーんと使おう!
みんなで夢をみちゃおうよ!
という企画。


1995年7月9日、
福島競馬場の七夕賞。

みんなにカンパ金を入れてもらったご祝儀袋を
いっぱい笹につるして、
それを持って競馬場へ。

七夕というのに雨が降ってきて
ご祝儀袋が濡れていました。

パドック、
とても立派な身体でじわーとオーラを発した
フジヤマケンザンが
グシグシと歩いてくるのを見て、

「これはしょうがないな」と
相棒のライターと話した記憶があります。

馬連一点勝負なので、
もう一頭選んで、
馬券を買って、
スタンドへ。

レース。
2分後、
フジヤマケンザンは1着でゴール。
完勝でした。

でも、
フジヤマケンザンの相手に選んだ
シロキタガンバはいいところなしで、
2着に一番人気のインタークレバーが入って、
みんなのお金で買った馬券は
紙くずとなり、
夢は泡と消えました。

余談ですが、いま思えば、
俺にとって最も「バブル時代」だったのは
あの日だったかもしれません。


フジヤマケンザンは
七夕賞の後も6戦走って、
日本で二つの重賞を勝って、
香港の国際レースも勝ちました。

ラストレースの宝塚記念では
「5着」という、
なんだかもっともうれしくなるような着順で
掲示板にも載りました。

まさに無事是名馬。


フジヤマケンザンは最初、
スパルタ調教で有名な戸山調教師のもとで
走り始めました。

同じ厩舎で一つ年下の
ミホノブルボンを取材に行って、
戸山先生に話を聞いたことがあります。

スプリングステークスの前だったので
3月ですね。

その時、
戸山先生が、

「ホントはね、
サラブレッドは若葉の季節、
4月、5月には
牧場に放牧しておいて、
おいしい草を一杯食べさせてあげたいんだ」

と優しい笑顔でおっしゃっていたことが
ずっと心に残っています。

4月、5月は春のクラシックシーズンで、
まさに勝負時、
放牧してる場合の時期じゃないんですが。


実は、
フジヤマケンザンは戸山厩舎時代、
4月5月6月のクラシックシーズンに
競走していません。

わざわざ休ませていたわけじゃなく、
足元など
何か不調があってのことだと思うのですが、
若馬時代、
「若葉の季節」に休んでいたことが
長くタフな競走生活につながったのではないかと
勝手に思っています。


フジヤマケンザンは、
生まれ故郷の吉田牧場、
悲劇の名馬、テンポイントの隣りに
埋葬されるとのこと。

6月の若葉がきらめく季節、
北海道に行けるといいなーと
思っています。



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