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『シン・ゴジラ』 [2016/09]

大ヒット中の映画『シン・ゴジラ』を観た。
kagaminotama.jpg
Tジョイ大泉。
お客さんは真面目な感じの
大人が多かった。

面白かった。

物語に感情移入するとか
俳優の演技に拍手を送るとかの
映画じゃなくて、
体験&体感する映画。
フィクションとリアルの間を行ったり来たり、
波打際に立って、
波がぶつかってきてちょっとよろけたり、
足元の砂が持って行かれるのを感じたり、
あれ? 
今どこに立ってたんだっけ俺?
いつからここにいるんだっけ?
いつまでここにいていいんだっけ?
みたいな気持ちを楽しむ映画。

観ていると、
海ほたるを渡って釣りに行きたくなったり、
鎌倉に住む大家さんを心配したり、
武蔵小杉が実家の義姉の笑い顔を思い出したり、
蒲田の羽根付き餃子が食べたくなったり、
新幹線に乗って大阪に行きたくなったり。

それは映画ならではの感覚だろう。
そういう意味では
映画らしい映画だなーと思った。


ゴジラは
いろんなもののメタファー、
「偶像」になっていて、
津波とか
原発とか、
戦争そのものとか、
人間の愚かさとか、
地球自体とか、
観ている俺の中でも
そのメタファーは
ゴジラと同じように
どんどん変化していく。

そして最後は、

「39度以上発熱して、
 苦しいくせに
 なおもクルマや電車のおもちゃで
 暴れながら遊び続ける2歳児」

という過去の記憶と重なっていた。

そういう意味で
俺の中では、ゴジラは
“未来”というものの
象徴になっていたのかもしれない。
で、それは
製作者たちのねらい通りだろうなと思う。


また、
『シン・ゴジラ』は
観る人によっていろんな角度やポイントで
うれしく感じる映画だと思うが、
個人的には
好きな映画監督の顔が見られたのがよかった。

『ゆきゆきて神軍』の原一男監督、
『鉄男』の塚本晋也監督、
写真だけだが、
『ダイナマイトどんどん』の岡本喜八監督の顔を見て、
それらの映画を観た当時の過去の思い出が
こっそり
スクリーンの片隅に映し出されていた。

それにやっぱり
第一作の『ゴジラ』も
また観たくなった。

俺はやっぱり
映画が好きなんだなーとちょっと思った。

『スタンダップ・コメディ・ライジング!!』 [2016/07]

下北沢。
hondagekijomae.jpg
このまままっすぐ歩いていく行くと、
左にすぐ
バイト仲間が恋の悩みをぶちまけていた
『フライト』があって、

もうちょっと先を左に曲がっていくと、
坂本やマイケルがバイトしていた
『旬亭』があって、

左に曲がらないで行くと、
『ふるさと』と『陣太鼓』が両側にあって、
その先には「バニシン!」こと、
『にしんば』がある。

もう一度この場所に戻って、
ふと右を見ると、
バイト先のマドンナをちょっとを口説いた
『得得ライト』が一階に、

その隣には、
時間をつぶそうと小皿中華で乾杯するうち
老酒にまで突撃して
待ち合わせにすっかり遅れる『新雪園』、

地下には、
鬼太郎の家みたいな場所があった
なんだっけ?
思い出せないや、居酒屋があって、

その上、3階か4階あたりに
ケンゾーとかがギター弾いてたり、
いろんな友達がロックを歌ったりしていた
『下北屋根裏』があった。

そして、
左側を向けば、
ここは『本多劇場』の入り口。


2016年7月2日、午後7時--
本多劇場の階段を登っていって、
日本スタンダップコメディ協会旗揚げ公演、
『スタンダップ・コメディ・ライジング!!』
を観た。


日本スタンダップ・コメディ協会は、
清水宏がいきなり「会長」を名乗り、
相棒のぜんじろうといっしょに立ち上げた
新団体。

その第一回公演。

ゲストに
小堺一機とラサール石井を迎え、
スタンダップコメディ4連発で
大いなる冒険へと船出するぜ!!
という趣向。


幕開け。

会長である清水宏がまずは
前説で場をあたためる。

とうか、
無理くり、客に場をあたためさせる。

そして、ホントの開幕。


一番手は、
ぜんじろう。

つい数日前、
全米コメディ第4位になったのだが、
その成り行きを語りながら、
スタンダップコメディアンとしての実力を見せる。
観客の体験をくすぐるのがうまい。
ちょっとアメリカに行った気分。


二番手は、
ラサール石井。

もしかして、
キンチョーしてたのかもしれない。
おっさんなのに
なにか客をときめかせる初々しさがあって、
こっちもドキドキしながら腹を抱える。


三番手、
小堺一機。

プロフェッショナル。
NHKのカッコつけ当たり番組じゃないが、
ザ・プロフェッショナル!
とっても華やかなのに、驚くほど人懐こい。
スターが踊っているようでもあり、
友達が話しているようでもある。
愉快痛快、気分爽快に拍手を送る。


そして、トリが
“会長”の清水宏。

前の三人とはムードが違う。
普通、観客が求めるだろう
スタンダップコメディの軽妙さとは正反対、
どす黒く、重苦しい、
叫びたいのに叫べない!
いや、でも叫んじゃうかこの際!
つー感じ。

「宿命」と言ったら大げさだろうか。

自分の人生を呪い、
そして、自分の人生を愛し抜き、
自らの「宿命」を
生き切ってやるんだ!
と宣言している
“演劇野郎”かつ
“スタンダップコメディアン”の
激闘物語。

自分史を語っていくうち、
ここはスタンダップコメディの舞台なのか、
“劇団員”にとっての夢の舞台なのか、
わからなくなっていく。

いや、
本人も舞台の上でそう叫んでいたが、
最後にはすっかりもう
“演劇”になっていたと思う。

よく見とけよ、あんたたち!
いや、見とくだけじゃだめだ……
俺の冒険の道連れにするから
覚悟しとけよ、お前ら!
と、観客に向かって吠える清水宏。

それはもちろん
自分自身にも吠えている。

もがいて叫んで、
くじけそうになったりしてまた上を向いて、
で、今ここに立って、
第一歩を踏み出そうとしてるから、
まさに“スタンダップ”コメディ。

旗揚げにふさわしい内容だったと思う。

トークというより独白、
どっちかっていうと“毒白”に、
客は、笑い、
ラストでは涙をにじませていた。

前の三人の舞台を
ちょっと持って行っちゃった感じ。

AKBのことを
「ドロボウ!」と叫んでいたが、
この公演に関して言えば、
清水宏、
お前のほうこそ「ドロボウ」だよ!

と、
心の中で少し笑いながら、
夜の下北沢の街を歩いていた。


『おみおくりの作法』 [2016/04]

映画『おみおくりの作法』を観た。
higasinakano.jpg
録画しておいたやつ。

ロンドン、
孤独死した人の縁者を探し、
葬式を出し、
墓に埋葬する係の民生職員、
ジョン・メイの物語。

44歳。

彼自身もひとり暮らしで、
孤独に暮らしている。

ある日、
上司から解雇を言い渡される。

ジョンは、
最後の仕事として、
40日くらい前に孤独死してしまった男の
娘や友達を探すことに取り組む。

その男は、
自分が暮らすアパートのちょうど向かいに住んでいたのだ。

全然別の人生だが、
その部屋を見ていると
どうしても自分の人生とリンクしてしまう部分がある。

娘の写真が貼ってあるアルバムを手に
男の知り合いを訪ねていく。

孤独死した謎の男が抱えていた
「孤独」と「希望」に触れながら、
自分自身の「孤独」を噛みしめ、
「希望」が芽生えていく瞬間を見つめていく。


この映画を観る人は、
まあ、自分の人生に照らし合わせたりしながら
いろんな見方をするんだと思う。

主人公・ジョンの孤独に人ごとではないと思う人。

彼が探す謎の男に自分を重ねる人。

アルバムに貼ってあった娘に会いたいと願う人。


俺は、映画を観ながら
なんとなく自分の仕事について考えていた。

やっぱり仕事したら
誰かに喜んでもらいたいな、とか。

死ぬまで仕事し続けるのかな、とか。

子供たちが自分で働き始めるまでは
仕事している姿を見せた方がいいのかな、とか。

仕事して稼ぐ金って
どのくらいがいいのかな、とか。


個人的には、
主人公のジョンが、
パブでひとりぼっちでテーブルに座り、
カウンターで飲んでいる人々……
誰かと一緒に生きているひとりぼっちじゃない人々の様子を
微笑みながら見つめて、
ウイスキーを飲んでいるシーンが好きだ。

ジョンの淋しさと人への愛しさがよくわかるし、
そういう気持ちで仕事をしているからかもしれないと
ちょっと思った。

たぶん、
それは俺だけじゃなくて、
多くの人が胸にしまっている
気持ちだと思うのだ。


フジヤマケンザン [2016/04]

フジヤマケンザンが亡くなりました。
bokujounoki.jpg
競走馬。
サラブレッド。

28歳だそうです。
老衰でしょう。

俺にとっては思い出深い馬で、
なんとなくその名前を思い出しては、
自分の人生を比べたりしてきた馬。

「フジヤマケンザンに少しは近づけているかな」

みたいな。


20年くらい前、
雑誌の企画で、

吉祥寺の飲み仲間や仕事仲間からカンパを募って、
その集まったお金を
競馬で一点買いして勝負する!

というページを作ったことがあります。

当たったらみんなでどかーんと使おう!
みんなで夢をみちゃおうよ!
という企画。


1995年7月9日、
福島競馬場の七夕賞。

みんなにカンパ金を入れてもらったご祝儀袋を
いっぱい笹につるして、
それを持って競馬場へ。

七夕というのに雨が降ってきて
ご祝儀袋が濡れていました。

パドック、
とても立派な身体でじわーとオーラを発した
フジヤマケンザンが
グシグシと歩いてくるのを見て、

「これはしょうがないな」と
相棒のライターと話した記憶があります。

馬連一点勝負なので、
もう一頭選んで、
馬券を買って、
スタンドへ。

レース。
2分後、
フジヤマケンザンは1着でゴール。
完勝でした。

でも、
フジヤマケンザンの相手に選んだ
シロキタガンバはいいところなしで、
2着に一番人気のインタークレバーが入って、
みんなのお金で買った馬券は
紙くずとなり、
夢は泡と消えました。

余談ですが、いま思えば、
俺にとって最も「バブル時代」だったのは
あの日だったかもしれません。


フジヤマケンザンは
七夕賞の後も6戦走って、
日本で二つの重賞を勝って、
香港の国際レースも勝ちました。

ラストレースの宝塚記念では
「5着」という、
なんだかもっともうれしくなるような着順で
掲示板にも載りました。

まさに無事是名馬。


フジヤマケンザンは最初、
スパルタ調教で有名な戸山調教師のもとで
走り始めました。

同じ厩舎で一つ年下の
ミホノブルボンを取材に行って、
戸山先生に話を聞いたことがあります。

スプリングステークスの前だったので
3月ですね。

その時、
戸山先生が、

「ホントはね、
サラブレッドは若葉の季節、
4月、5月には
牧場に放牧しておいて、
おいしい草を一杯食べさせてあげたいんだ」

と優しい笑顔でおっしゃっていたことが
ずっと心に残っています。

4月、5月は春のクラシックシーズンで、
まさに勝負時、
放牧してる場合の時期じゃないんですが。


実は、
フジヤマケンザンは戸山厩舎時代、
4月5月6月のクラシックシーズンに
競走していません。

わざわざ休ませていたわけじゃなく、
足元など
何か不調があってのことだと思うのですが、
若馬時代、
「若葉の季節」に休んでいたことが
長くタフな競走生活につながったのではないかと
勝手に思っています。


フジヤマケンザンは、
生まれ故郷の吉田牧場、
悲劇の名馬、テンポイントの隣りに
埋葬されるとのこと。

6月の若葉がきらめく季節、
北海道に行けるといいなーと
思っています。



『フェーム』と『トリコ』と… [2016/03]

もしも
今、映画を撮るんだったら、
husen.jpg
7人くらいの少年少女が
とある島へと食べ物を探しに行って、

鳥とか鹿とかをつかまえて、

魚を釣ったり小さなカニを捕ったりして、

根っこを掘って芋を見つけて、

キノコを採って、
でもやっぱり食べずに捨てて、

火を起こして、
背中に背負ってきた鍋で煮て、

葉っぱに包んで薪にくべて、

食べようとしたら
大人の集団に襲われて、

サッカーボール蹴ったり、
フィギュアスケートのトリプルアクセルで
やっつけたりして、

やっと食べようとしたら
アライグマかなんかに盗られた後で、

がっかりしたけど、
みんなで枝を持ってそこらを叩きながら
歌を歌って、

島の頂上まで登って、

いっせいのーで

「バッカヤロー!!」

って叫ぶ映画が撮りたいなと思った。

映画『フェーム』と
漫画『トリコ』の
影響受けまくり。

あと、ちょっと
『アイガー・サンクション』も。


浦沢直樹展 [2016/02]

芦花公園近く、
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世田谷文学館に
『浦沢直樹展 描いて描いて描きまくる』を観に行った。


平日のわりに結構人がいる。
観ている人たちの顔は
わりとみんな真剣な感じだった。

『YAWARA!』に『Happy!』、
『MASTERキートン』『MONSTER』、
『20世紀少年』『PLUTO』、
『ビリーバット』などなど、
展示場中に
バババババ―ッと貼られた
原稿の中にいると、
浦沢漫画の登場人物になるような感じがする。

観てて思った。

浦沢さんは原稿用紙の紙の中に
なんでも取り込むんだなって。

じいちゃんもいれば、男の子もいる。
意地悪な美女がいれば、可愛いブスもいる。
コンサートがあれば、ラジオ番組もある。
過去もあれば、未来もある。
絶望の涙があれば、希望の涙もある。
アニメの動きがあれば、映画の名場面もある。

それらは単なる物語のシーンとして
取り込んでいるのではなく、
世界にあるものそのものをまるごと取り込んでやろう、
白い原稿用紙の中に叩き込んでやろう
と計画して描いているような気がした。

「漫画の可能性は無限大」

貼られた原稿がそう言っているようだった。

もう一つ、いいなあと思ったのは
取り込んだものを閉じ込めていないこと。

閉じ込めていないで
原稿用紙から外に飛び出していく感じがするんで、
囲まれているとなんだか、
自分も力がついたように錯覚できる。
自分の可能性も無限大だと思えてくる。

元は、一枚の白い紙なのにね。

浦沢さんが子供の頃描いた
落書コーナーも楽しかった。
岩田鉄五郎や上杉鉄兵がいた。


『浦沢直樹展』は特別展示だが、
一階でやってるコレクション展もよかった。
昭和20年、
戦後を迎えた日本で文学者たちが
何を考え、何と書いたり作ったりしようと
していたのかがわかる展示。

三島由紀夫、海野十三、坂口安吾、
佐藤愛子、黒澤明、成瀬巳喜男、
北杜夫、斉藤茂吉。

生原稿に書簡、色紙やカチンコなど。

入り口に置いてある
カラクリ箱細工自動紙芝居も
動かしてもらって楽しかった。
『ムットーニのからくり劇場』
という展示。

浦沢直樹展とは別の展示なのだが、
自分の世界と読者観客の世界を
一生懸命つなげていこうとする気持ちが
どこか同じように感じた。


あともう一つ、
これはあまりオススメしてはいけないのだが、
この世田谷文学館、
クルマの駐車場がある。

電車などの公共交通機関で行くことを
たぶん推奨していると思うんだが、
ウルトラホークに乗っている気分になるので、
一度は使ってみることをこっそりオススメ。

異世界に突入していく感じ、

これもこの世田谷文学館の隠れた魅力。


清水宏 [2016/01]

『清水宏』を観た。
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正確に言うと
『清水宏の海外コメディチャレンジ・セレクション』
というタイトルの
スタンダップコメディ、
というか一人芝居、みたいな舞台を観たのだが、
感覚としては

「清水宏を観た」

と観た人はみんな思うと思う。


下北沢。
前日夜から朝にかけて降った大雪が
いっぱい道路に残っている。
スズナリ劇場横のシアター711。


舞台の内容は、
コメディアンの清水宏が海外に出かけて行って、
外国の人たちの前で勝負した時の
喜怒哀楽奮闘絶叫ドキュメンタリー。

つまり、
自分の伝説を
自分自身で喋ったり演技したりしてみせる
まさに“自作自演”の物語である。

俺が観に行ったのはそのうちの
「エジンバラ躍進編」。
今回、1週間連続で公演される
“清水宏海外挑戦伝説集”のうちの一つ。

スコットランドのエジンバラで
毎年8月に開催されている
『エジンバラ・フェスティバル・フリンジ』という
世界最大の公演芸術祭に、
清水宏が初めて参戦した時の物語である。


スコットランドのエジンバラ。
世界中から大集合しているパフォーマーたち。

オレンジ色のジャージで、
日本語が通じる人のいない場所に参上して、
なんとかなりそうもない状況の中、
たくさんの人に笑ってもらいたいと気持ちだけを武器に、
いろんな人と出会って、
強引にいろんな人の懐に飛び込んで、
胸ぐらつかんで戦って、
なんとかなったかならないかわからないし、
勝負に勝ったか負けたかもわからないのだが、
出せる技は全部出した!
という感じ。


笑って、
というか無理やり笑わされて、
心が揉まれまくって、
でも急に“演劇野郎”の顔が出てきたりして、
油断してたところに突き刺さって、
ぐっときて、
涙なんかもポロリとこぼれちゃって、
と思ったらまた無理やり笑わされて、
あっという間の2時間だった。


この舞台、
すごく大雑把に言ってしまえば、
「自分のがんばり自慢話」なわけで、
演じる人によっては鼻につくと思うが、
清水宏の場合は鼻につかない。

それはなぜか。

「バカ」だから、
という部分もあるけれど、
それよりも
観ている俺たちもいっしょに
荒波に乗り出している感じがするからだろう。


清水宏は漕いでいる。
手漕ぎボートに乗って、
えんやこらこらさと進んでいる。

俺たちは、最初
ちょっとそのボートに乗せてもらうのだが、
なにぶん、小さなボートなので、
いっしょに乗ってると狭い。
汗も飛び散って、降りかかってくる。

しょうがないので、
自分のボートを持ってきて併走する。
隣りでそれなりに一生懸命漕ぐ。

で、併走して漕いでいると、

「こいつ、いつまでもバカでうらやましいな」

とか

「俺、汗かくのもうやめちゃったのかな」

とか、

嫉妬してみたり、
自分の人生を振り返ったりする。

そして、笑う。

下くちびるを少し突き出しながら、
あるいは口をへの字にしながら、
うふふえへへいひひあははと大声で笑う。

清水宏を観て笑いながら、
実は自分自身も笑っているのだ。
だからもちろん鼻になんかつかない。

自分自身を大声で笑えるのだ。
元気が出るだけである。


終演の時、
自分のボートを清水宏のボートに近づけていって、
軽くぶつけて別れる。

「じゃあまた」

俺も
自分自身の海とか川とか湖とかに出て
えんやこらこらさと漕いでいくんで。
また、
おめえがいる荒海で会うかもしんねえから、
そん時はひとつよろしくな。

さようなら。

小屋の階段を下りて、
握手を交わして、
下北沢の街を歩いていく。

半月の月が頭上で輝いている。
雪で濡れた地面も光っていた。


映画『セッション』 [2015/12]

映画『セッション』を観た。
kakinotane.jpg
なかなか迫力があって、
引き込まれて面白かったのだが、
観た後、
変なことを思い出した。


25年くらい前。
吉祥寺南口のマクドナルドの2階で、
『宝島』の編集者と待ち合わせしていた。
夜10時半くらいだったか。

ちょっと早めに着いて、
薄いコーヒーを飲みながら
仕事用のノートをながめていたら、
突然、女の人が声をかけてきた。

18歳くらいか、もっと若いか。
太目で、リュックを持っている。

「あのー、すみません」

はい?

「実は私、
 今日泊まるところないんですが…
 今晩泊めていただけませんか」

えっ? うちに?

ビックリしながら答えると、
思いつめたような感じでその女の子は言った。

「もしよければ、お願いします」

俺はアパートに一人暮らしだし、
それは可能だけど……

ドキドキしながら少し考えて、
すまなそうな感じで断った。

ごめん、これから仕事あるし、
ここでその仕事相手と打ち合わせがあるんで、
うちには泊められないです。

「わかりました」

その女の子は、うなづくと、
笑顔を見せるでもなく
階段を下りて店を出て行った。

横目で後ろ姿を見送った。
まだけっこうドキドキしていた。


映画『セッション』は
ニューヨークの有名音楽大学に入学した
19歳のドラマーと、
上級バンドを指揮する鬼のような先生の話。

師弟の物語と言えば、まあそうなのだが、
いわゆる「師弟愛」ものではなく、
自我と自我のぶつかり合いのバトル物語で、
それが『セッション』という
邦題にもつながっている。

主役の二人以外の登場人物として
大学生ドラマーの父親と
同い年くらいの恋人が出てくる。

父親は、
息子に甘いって言えば甘いが、
まあ一般的な父親。
俺も父親なので彼の気持ちはまあわかる。

恋人は、
同じくニューヨークにある
3流大学に入学したばかりの
アリゾナ州出身のキュートなおねえさん。
映画館でバイトをしている。
アゴの形がコンプレックス。

この彼女に対して、主人公は
自分で声をかけてつきあい出しておきながら、
精神的に追い込まれた時、
一流ドラマーになるのに恋人は邪魔だと
一方的かつ身勝手に別れを告げる。

でも、
復活のコンサートに出られると決まった時、
無礼を謝り、
彼女に観に来てくれと電話で頼む。

だが、
彼女はたぶん行かないと答える。
新しく出来た恋人に訊かないとわからない…
と、電話の向こうでつぶやく。

このシーンが俺にはよくわからなかった。

彼女は本当に恋人ができたのか。
あるいは、会いたくなくて、
もう電話をかけてきてほしくなくて、
恋人ができたとウソをついたのか。
それとも、さみしい気持ちを悟られたくなくて
恋人に相談すると出まかせを言ったのか。

なんでもないシーンなのだが気になった。
この映画を観た人たちは
どう解釈するのか聞きたいなと思った。


ささいな出会いでも、
なんでもないような瞬間でも、やっぱり
人生ってのは「セッション」の連続だと思う。

25年前のマクドナルドで、
俺はちょっと怖くて
つい逃げてしまったが、
もしかしたらあれも何かを変えるような
「セッション」だったのかもしれない。

今、あの女の子はなにをしてるんだろうか。
っていうか、
女の子じゃないだろうけど、今はもう。


映画『バードマン』 [2015/12]

映画『バードマン』を観た。
birdman.jpg
とっても面白かった。

ワンカットで物語に引き込まれていった。
主人公たちと一緒に
ニューヨークのブロードウェイを歩いていた。

ヒーロー映画の元スター、
しかも超能力を持っている?

とっても感情移入できなさそうな主人公なのに、
とっても感情移入している自分がいる。


観終わった直後、
劇場で観た人は、
映画館を出た後に空を見上げるだろう。

家でテレビ画面やパソコンで観た人は、
観終わった後に窓から外を見上げるだろう。

そのあと、
足元を見つめながら、
回りの音に耳を傾ける。

雑踏を歩く人の声や、
車の走る音や、
どっかで鳴ってるドラムの音や、
鳥の鳴く声なんかを聞いた後に、
再び、空を見上げる。

さて、あなたには
空に何が見えていただろうか?


なにかが映っていた人は超幸運だ。
自分が本当に欲しいものや
愛している人が
わかっている人だから。

なんにも映し出されなかった人は超幸福だ。
自分が本当に欲しいものや
愛したい人を
見つける冒険の最中だから。


そういう映画。

ちなみに、俺も空を見上げたが、
うすぼんやりしたイメージが
現れては消えていった。

そんな感じの現状なのだろう。

公園で遊ぶ
近所の子供たちの声が聞きたいなとも思ったが、
残念ながら今は遊んでいないらしい。

まあ、そんなもんだ。



南相馬・山元旅行記 その3 [2015/09]

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再び山元トレセンへ。

事務所から調教の様子を見ながら、
馬と対面する時間を待つ。

トラックへ向かっていく馬の列の中に
一口馬主で持っている2頭のうちの
1頭がいると教えてもらう。
騎乗者が黄色と黒の帽子を被っている馬。

トラックを駆けあがってくる。
首を上げて上下に振っている。
折り合っていない。
騎乗者のいうことを聞いていないのだ。

相変わらずヤンチャだなあ。

その様子を見て、独り言を言って、
やっと笑顔を取り戻せた。
自分のことながら、
人間ってホント身勝手なもんだ。


馬に対面するため、厩舎へ行く。
車の後ろに乗せてもらう。
と、運転席の場長さんが
助手席に座っている人を紹介してくれた。

中舘ジョッキー!
いや、中舘調教師だ。

「妻が大ファンなんです!」

興奮丸出しで挨拶をして、一緒に厩舎へ。

2頭の馬を厩舎から出してもらい対面。

鼻面をなでたり、
額をこすったり、
写真を撮ったり、
首を叩いたり、
「ケガすんなよ」
と声をかけたりして、逢瀬終了。
ほんの10分程度だが、
とてもしあわせな10分だった。


トレセンを離れる時、
中舘調教師にお願いして
一緒に写真を撮らせてもらった。

「このレースで勝てなければ処分されてしまう…
 そういう馬を、
 ギリギリのところで勝たせることができる
 調教師になるのが目標です」

去年の12月、
調教師試験に合格した時の
そんな感じのコメントを思い出した。

中舘調教師は騎手時代、
ローカルで強いジョッキーだった。
福島競馬場では特に強かった。

最後に、もう一つだけ…
と、握手をしてもらって別れた。


さてと、東京へ帰るか。

山元インターから高速に乗って南下。
<南相馬PA>で休憩。
どうしようかな…ちょっと迷ったが、
そのままスマートICで高速を降りて、
南相馬の<道の駅>へ。

なみえ焼きそば、海苔のお菓子、
野菜に多珂うどんを買って、
名物のほっきめしのおにぎりと
アイスまんじゅうを食べる。


そして、やっぱりちょっと迷ってから
国道6号を南下していく。

去年の9月に通行規制が解除されて
全面開通となった道。
帰還困難区域を南北に貫く道だ。
そこを車で走っていく。

南相馬市から浪江町、
双葉町、大熊町、富岡町を通り抜ける。

途中、国道6号から脇に入る道には
まんべんなくゲートが設置されていて、
防護服姿の警察官が立っている。

昨日、南相馬へ向かう高速道路で
すれ違った警察の大型車両、
あれに乗っていたのは
この警備にあたっていた警察官かも
しれないな、と思う。

道沿いには
大型レストランやスーパー、
ガソリンスタンドなどが並んでいて、
想像していたよりずっと
にぎわっていた場所だったのだと知る。

震災がなければ
家族連れなんかでこの日も
にぎわっていただろう。

助手席の妻は周囲を見ながら
「死の町みたいで怖い」と言う。

昔、子供の頃に観た
映画『カサンドラクロス』を思い出す。


帰還困難区域を通り抜け、
楢葉町を通過、
広野インターチェンジから高速に入る。
正直、ちょっとホッとする。

なんだか疲れて、
茨城県に入ったらすごく眠くなって、
サービスエリアで
妻に運転を代わってもらった。
大泉の高速出口を出るまで
ぐっすり眠ってしまった。


帰ってから三日後。

思い切って、
山元町の中浜小学校について
インターネットで調べてみた。

あの小学校に避難した子供たち、
そして先生や近所の人たち90人が
全員助かったということを知った。

http://www.pref.miyagi.jp/uploaded/attachment/12385.pdf


この校長のリポートを読んで、
なんというか、
うまく表現できない気持ちで
胸がいっぱいになって、
そのなんとも言えない気持ちは
今も心の中にある。


中浜小学校。
放射性廃棄物質の黒い袋。
飲み屋のマスター。
一本松。
チャリンコの高校生。
ワタリガニ。
西原さんの絵。
中舘調教師の笑顔。
雨に濡れた馬の皮膚。
帰還困難区域の道路。
防護服の警察官とゲート。
4年前に日帰り温泉で会った少年。


そういう記憶というか
映像みたいなものも、
胸の奥底のほうで
ぐるぐると渦を巻いている。


この旅行記の“デザイン”はまだ決まらない。
ずっと決まらないままかもしれない。

ただ、この文章を書きながら
なんとなく感じていることがある。

知り合いの若い人たちや
自分の子供や友だちの子供たちが、
なにかのきっかけで
南相馬や山元に行けますようにって
秘かに願っている。

そう願う理由は
やっぱりよくわからないけどね。

    終わり

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