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ブタ見てのつづき。 [2008/12]

インターネットは便利だ。
帰ってきて『ブタがいた教室』の感想をいろいろ見てみた。

で、気づいた。

buta.jpg

この映画のテーマ
「飼育したブタを食べるべき」「食べないべき」とか、
「教育のあり方とは」とか、「いのちの大切さとは」とか、
そのへんのことがやっぱり感想として語られているんだけど、
俺はそういうことをいつのまにか全然見逃していたことに。

いや、一応そのへんのテーマについては見ていたというか、
子供たちや妻夫木先生と考えながら見ていたんだけど、
途中からその辺のことはどうでもよくなってしまっていたのだ。

「目の前にある問題と本気で向き合って、
 何とか答えを出そうとして戦う……
 その姿って、やっぱりカッコいいんだ」

俺にとって、これがこの映画の一番の見所になってしまっていて。

この映画では子供たちが全員『ガラスの仮面』の北島マヤ状態。
現実と虚構の区別がつかなくなってる感じがするんだけど。

その狭間で、出演者の子供たちが
一方では役者として、もう一方では学校の児童として
答えを見つけようとしている姿に
感動して涙してしまっていたのでした。

大人のあんたは必死に戦っているんですか?
本気で答えを探しているんですか?

と、子供たちに問われていたんですね、見ている最中。

いや、普通の映画でも、
俳優の皆さんは答えを探して、たどり着いたものを表現しているわけで、
その答えとか表現方法とかに驚いたり感激したりして、
わりと感動しやすいタイプなんですけど、俺は。

この『ブタがいた教室』というのは
そういう意味でめったに見れない映画だなあと感じたわけですね。
ある種、スペシャル。
実話をもとにしているからこそできた二重構造。

ベタに言っちゃうと、ドラマの『金八先生』シリーズの最終回、
卒業の日、教室でみんなが今までのロケとか思い出しながら演技して
泣いちゃうシーンってあるじゃないですか。

言ってみればあれとおんなじわけですが、
金八の場合、自己完結している涙だけど、
この『ブタがいた教室』の場合、
わからない未来に突っ込んでいく闇雲さと勇気が湧き出させている涙なわけです。
と思うわけです。

決して「ブタがかわいそう!」という涙ではなく。

そして、無責任にブタを飼育し、可愛がり、
闇雲に未来へ走っていった子供たちは、
その涙や答えなんかもさくっと無責任に忘れちゃって、
また戦うべき新しい問題を探していくのだと思います。

だよね?

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