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南相馬・山元旅行記 その2 [2015/09]

ipponmatsu.jpg

JR原ノ町駅近くの
ビジネスホテルにチェックイン、
夕飯を食べに外に出る。

路地裏に美味そうな店を見つけた。
のれんをくぐり扉を開ける。
残念ながら満席だそうである。

もう少し探す。
扉を開ける。
やっぱり満席だ。

結局、4軒のお店を訪ねたが、
どこも一杯で入れなかった。

お盆で帰郷した人が集まってんのかなー…。

魚屋さんの前を通ると、
刺し盛りを買いに来ていたお客さんがいた。

家で宴会をする人もいるんだろうな…。


裏通りのほうに行って、
小さな店の扉を開けた。
カウンターと小上がりがあって、
お客さんはいなかった。
カウンターで食事をとっていた奥さんが
急いで食器を片づける。

夫婦でやっているお店らしい。
俺よりちょっと上の年齢かな…
とか、内心思いながら
カウンターに座って
生ビールとおつまみを注文した。

枝豆のガーリック炒めとか
脂の乗ったカレイ焼きを食べながら
マスターと話をした。

「除染に来てんのかい?」

いや、明日、山元に行って馬に会うんですよ。

そう答えたら、
珍しそうな顔をして、

「山元だったら下道で行っても時間は変わらないね」

と教えてくれた。

南相馬野馬追のポスターが貼ってあったので
どんな感じか訊いてみた。

馬や衣装を自分で持っている人もいるけど、
レンタルする人もいるそうだ。
馬と衣装、合わせて50万円くらいとか。

「まあ、野馬追はね、
 見てもそんなに面白いってわけじゃないよ。
 祭りだからね、やる方は面白いんだろうけど。
 俺は一度見に行って、それから行ってない」

少し皮肉っぽい口調のマスター。
でも、ダンディーでなかなかカッコいい。
8年前、南相馬にやってきて、
この店を始めたそうだ。

「まあ、旗を背にして走らせる競馬は
 なかなか迫力あるけどね」

さっき、海のほうへ行ってきたんですけど、
宮城県の石巻や気仙沼に比べて
復興が進んでいない気がしました…と言ったら、

「賠償金があるからねえ…」

と、困ったような笑うような顔をした。

除染もまだ終わってないのだ。

実際、このお店も
除染の仕事で南相馬に来てるお客さんで
普段はいっぱいらしい。
この夜はお盆でガラガラだったけど。

「料理はなんでも500円!」
黒板にそう書いてある。
その字を見ながら思った。
今、この街は景気がいいのだ。

いつか除染が終わって、
防潮堤などの工事も終わった時、
南相馬にはどんな仕事があるんだろう。
若者たちはどうやって暮らすんだろう。
そんな話もしながら飲んだ。
生ビールからレモンサワーへ。

マスターによると、
夕方、海岸沿いで見かけた
チャリンコ高校生が釣っていたのは
スズキらしい。
火力発電所の近くは海があったかいんで
大きい魚が釣れるんだと笑う。

震災の時、
この店にいたマスターは
津波が来ているのを知らなかったとのこと。

警報も連絡も何もなくて、
津波が押し寄せている様子をテレビで見て
初めて津波が来ていることを知って
びっくりしたらしい。

1時間くらい飲んで話をして、
お店を出た。

「南相馬に来たらまた寄ってよ」

そう言って見送られた。
もちろん飲みにに来ますよと思った。


少し歩いて、もう一軒、
かなり懐かしい感じの居酒屋を見つけて入った。
広い座敷に結構お客さんがいた。
ほとんど男性。
しかもみんなよく食べそうな感じ。

「注文は紙に書いてくださいね」

と、お店のお姉さん。
かなり疲れている感じだった。
というか、実際、
料理や飲み物をたくさん運んで
体力が消耗しているのだろう。

でっかいソーセージなどをつまんで、
日本酒を少し飲んで、
ビジネスホテルに戻った。

二軒目の居酒屋、
「名物!」と書いてあったラーメンを
ちょっと食べてみたかった。



翌8月13日。

予定より1時間早く、午前7時に宿を出発。

飲み屋のマスターの進言に従い、
高速道路ではなく、下道を北へ行く。

「一本松行った?
 下道行くなら寄ってくといいよ」

マスターに言われた通り、
一本松を見に行く。

「かしまの一本松」。

津波が樹木をなぎ倒していった中、
生き残った「奇跡の一本松」。
陸前高田の一本松が有名だが、
この南相馬市鹿島区にも立っている。

今にも雨が降り出しそうな曇り空。
どこかからカラスの鳴き声が聞こえる。
スマホで写真を撮って、
一本松にじゃあねと別れを告げる。


南相馬市から相馬市へ入る。

海沿いの小さな砂浜に釣り人がいる。
6本くらいの竿が並んでいる。
一人の釣り人が遠投する。
飛んでいく道糸の先、
なんだか網のようなものがついている。

車を止めて、
砂浜に降りて行って声をかけた。

何を釣っているんですか?

「カニ」

日に焼けた顔のおじさんが蓋をめくって
四角いバケツの中を見せてくれた。
大きなワタリガニが3匹入っている。
そのサイズにビックリした。

「魚よりこっちの方がうまいんだよ」

確かにこれほどでっかいカニなら
相当美味しいだろうなと思った。


しばらく北上していくと、
工事中の防潮堤に「釣師浜漁港→」と書かれた
看板があって、
その脇に狭い入り口があった。
砂利道に入っていくと、
とても整備された漁港があって、
二組の若い「釣師」が車を止めて竿を出していた。

ちょっと様子をうかがったけれど、
何も釣れてはいないようだった。
ポツポツと雨が降り始めた。


海沿いの道から国道6号線を入り、
北へ走っていくと、
10分足らずで宮城県に入り、
山元トレーニングセンターの標識も目に入った。

トレセンの駐車場に車を止める。
調教トラックへと向かう馬たちが
一列に歩いている。

約束の午前9時までまだ30分以上ある。
雨は強くなっている。
濡れて待っていても仕方がないので、
とりあえず、一旦トレセンを出て、
亘理町と山元町を車で走る。

国道沿いでスイカが売られている。
山元町の名産なのだ。
冬にはイチゴも収穫できるらしい。
海岸のほうへ脇道に入ると
イチゴ狩りの看板とハウスが見えた。


そのまま海沿いを走っていたら、
小学校の校舎と体育館が見えた。
真っ平らになった海岸にポツンと建っている。
建物自体はしっかり残っているが、
窓ガラスは全部割れている。
横に慰霊碑らしきもの。

「山元町立中浜小学校」。

横をゆっくりと通る。
津波でどれだけの子供たちが亡くなったのか…
被害を勝手に想像して、黙り込んでしまう。

そのまま
トレセンへの道を進んでいこうとしたが、
山を抜ける道が通行止め。
来た道を戻ることにして、
もう一度、中浜小学校の前を通った。

忘れられない光景だなと思った。


→その3へつづく
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南相馬・山元旅行記 その1 [2015/09]

minamisoma.jpg

文章にも“デザイン”がある。

文体だとか、構成だとか、
どんなふうに入り口を入るのだとか、
どんなふうな出口にするのだとか、
まあ、
読んでくれる人が持つ印象を考えること、
どんな気持ちや気分で読んでくれるか想像すること、
それが俺にとって文章の“デザイン”。

そいつが腑に落ちないと、
なかなか文章が書き出せないのだが、
あまりモタモタしてると
あったことを忘れてしまったり、
記憶を自分の中で変えてしまうので、
思い切って書き始めてみる。

まだ“デザイン”は決まってないんだけど。


お盆に、福島県の南相馬と
宮城県の亘理郡山元町に行った。

山元町に
サラブレッドのトレーニングセンターがあって、
自分が一口馬主になっている馬が2頭、
たまたまそこで調教されているので、
妻と二人で会いに行ったのだ。

都合よく、
子供たちもジジババの家へ泊まりに行ってるし。
敏感な競走馬がいるところに
うるさい子供を連れていきたくないのだ。


なるたけ山元の近くまで行って
前泊しようと思っていたら、
南相馬のホテルに空きがあった。
珍しいなあと思いながら、予約した。


2015年8月12日。

朝から少し仕事をして、昼前に出発。
高速道路が渋滞していないか心配していたのだが、
外環道や常磐道はさほど混雑していなかった。

福島県のいわきジャンクション。
ここから北へ、
いわゆる「浜通り」を行く。
今年の3月に全線が開通した高速道路を走る。


放射線被ばく量を計るモニタリングポストがある。
ちょっとドキッとする。
雨に濡れた森の中を走っていく。

「もしこういう深い森に放射能が降り注いだら、
 除染し切るのって難しいっていうか
 無理なんじゃないか」

などと話しながら運転する。

いわき市を過ぎて、広野町・楢葉町に入る。
サッカーのトレセン、
Jヴィレッジがあるところ。

震災直後の2011年5月、
福島県猪苗代の日帰り温泉で出会った
うちの長男と同い年の少年と、
その家族の顔を思い出した。
楢葉町から猪苗代に避難していたのだ。

おしりに蒙古斑が残っていた
あの人懐こい少年は、
今も元気に笑っているのだろうか。


常磐高速道、反対車線を
警察の輸送車がすれ違っていく。
機動隊とかの人員を乗せるバスみたいなヤツ。

最初の一台では、
運転席にいる警察官と助手席の警察官が
なごやかに談笑しているのがちらりと見えた。

その後の二台では
神妙な顔をしてまっすぐ前を向いていた。

この先一帯で
けっこうお巡りさんが配備されているんだな
と思った。

<ならはPA>でトイレ休憩、
自販機で水を買う。
ここにもモニタリングポスト。


高速道路が橋の上を走る。
と、両側が急に妙な景色になる。

黒い袋が一面に並んでいるのだ。
放射性物質汚染廃棄物の袋だろう。

緑深い森の手前に「黒い絨毯」。
その景色はかなりショッキングで、
正直、暗澹たる気持ちになる。

このゴミを
今後どうすればいいんだろう。
もしかして、
このままこの場所にどんどん置いていって、
日本中が見て見ぬふりをするように
なるんじゃないか……
などと思ってしまう。

富岡インターから
浪江インターに入るあたり、
モニタリングポストの数値が
ぐっと上がった。
少し緊張するが、普通に通り抜ける。


午後3時過ぎに南相馬インターを降りる。

降りてすぐ、
右側に大きめの魚屋さんが見えた。
宴会場もあるらしい。
市街へ走っていくと
何軒も魚屋さんが目に入る。

どんどん個人経営の鮮魚店が
閉店していく東京に住んでいる俺としては、
なんだかうれしくなってくる。
魚屋さんが好きなのだ。

福島の浜通りは
美味しい魚が水揚げされることで有名。
だから魚屋さんが多いのだろう。

福島の漁業はまだ休漁中なのだが。


夕飯までにはまだ時間があるので、
南相馬市博物館に行く。

相馬野馬追の等身大ジオラマが迎えてくれた。

展示物で南相馬の歴史をざっと学んで、
特攻で亡くなった南相馬出身の人の手紙を読んで、
南相馬市の四季を知る映画を観て、
それから
特別展の『大武者絵展』を見た。

もともと収蔵していただろう
昔の「野馬追の絵巻」とともに、
いろんな漫画家やイラストレーターの描いた
「武者絵」が並んで飾ってある。
合計204点だそうだ。

その中で、
ひときわ異彩を放っていたのが
西原理恵子氏の武者絵。
いつものタッチでのんきに描いてある。

でも、気持ちはすんごく入っている気がした。


帰り際、受付で気になっていることを訊いてみた。

野馬追の馬は普段どこにいるんですか?

「馬? 馬を飼っている家にいますよ」

基本的に一緒に暮らしているのか。
ま、当たり前と言えば当たり前だけど。


まだ時間があったので
ホテルにチェックインする前に
海岸方面へ車を走らせてみた。

海岸沿いは防潮堤が建設されている最中。
お盆のせいか、重機は動いていない。
閑散としている。
通行止めの部分がまだたくさんある。

かつては住宅や農地があっただろう土地、
広がっている空き地を見ながら、
あまり復興は進んでないなあと思った。


薄暗くなってきた中、
火力発電所の近くを通った時、
3人の男子高校生がチャリンコに乗って
帰るところに出くわした。

手には竿。
チャリのハンドルから数匹の魚がぶら下っている。
すぐそこの海か河口で釣りをしていたのだ。

何を釣ったのかと
声をかけようと思ったけど間に合わなかった。
楽しそうにしゃべりながら
チャリンコを漕いで行ってしまった。


→その2へ続く

2015女子ワールドカップ決勝戦 [2015/07]

女子ワールドカップ、
決勝戦、なでしこはアメリカに敗れた。
2-5。
日本の選手は悔しいだろうけど、
俺にとっては
とても見どころの多い試合だった。

ゲームの後半、
3点差を追って闘うなでしこを観ながら
すげえなーと息を飲んでいた。

試合終了の笛が鳴った時、
とんでもないものを見せてもらったなと
じんわり涙が出た。

感動したのは
なでしこの「共有する力」だった。


サッカーだけじゃなく、
仕事なんかでもチームプレーで闘うものは
次の2つの「共有力」が
チームの戦闘力を決めると思っている。


1.どんな「戦術」で闘うのか…?

自分達のチームの戦い方を「共有」することは
闘いの第一歩目でもあるし、
同時に、共有できる「戦術」を育て上げたこと自体が
大きな自信の源になる。


2.今、この瞬間どんな「プレー」をするのか…?

グランドの上で、現場で、
瞬間瞬間、湧き上がってくる仲間たちの
アイデアやイメージを
できるだけ素早く確実に「共有」できることが、
簡単には揺るがない守備力につながり、
壁を突破する強さとスピードにつながる。


この2つの「共有力」で闘うのがサッカーだし、
その「共有力」が勝敗を左右するところが、
プレーしていて、
あるいは観ていて、
サッカーのとても面白いところなのだが、
実はもう一歩先に
もっと難しい「共有」がある。

それが、

3.みんなどれだけ「闘志」を抱いているのか…?

の「共有」だと思う。


勝ちたい!
負けられない!
あきらめない!
全力を出し切る!

「闘志」にはいろんな表現があるのだが、
実は、その「闘志」の量は人によって違うし、
上記の2つ、
「戦術」や「アイデア」のような具体性が
「闘志」には存在しない。

だから、どんなに声をかけあっていても、
互いの顔を確認しても、
「闘志」を心底確認し合うことは無理だと思う。


特に劣勢の時、
3点差で負けている時には、
本当にまだ「闘志」を抱いているのか、
もう闘う気持ちを失いつつあるんじゃないのか…
なんて、
仲間のことを微妙に疑ったり、
不安に思ったりしてしまう。

どんなに信頼し合う仲間だとしても
不信感を持ってしまうものだと思う。


例えば、仮の話だけど、
ここに漫画雑誌の編集部があるとする。

まず、
漫画家のラインナップや編集長の考え方などから
編集方針を決めていく。
一、食やセックスなど五感に訴える題材。
一、映画やTVドラマなど実写映像化を狙える物語。
一、キレイな線のアニメ絵よりも個性的な絵柄。
一、読者に近い等身大の人間よりも、一歩先を行くヒーロー型の主人公。
例えばだけど、これが「戦術」。
これは編集部で共有することができた。


その「戦術」を胸に秘めて
各編集者たちは漫画家に会いに行く。
漫画家が持っているイメージや能力を
フルに発揮してもらって
ヒット作品を生み出してもらえるようにと。

頭脳を懸命に回転させながら
打ち合わせをし、
ネームをダメ出ししながらアイデアを出す。
これでもかこれでもかとパスを出す。
漫画家も編集者に刺激されながら、
最高の作品が描けるように次々とシュートを打つ。
なかなか決まらないがそれでも打つ。
打っているうちになんとかゴールが決まる。
これが「瞬間のプレーイメージ」の共有。


ここまではなんとかなる。
逆に言えば、ここからが問題。

どうにか1点は取ることができたけれど、
どうにも劣勢。
なかなか売り上げは伸びない。
読者が増えていかない。
ドラマ化しても思うように単行本が売れない。

編集部内にだんだん不安と疑惑が広がっていく。

どんなにがんばったって、
売り上げは伸びないんじゃないか?
もう漫画の読者は増えないんじゃないか?
そもそも大ヒット作品を出したり、
売り上げを伸ばそうなんて言う考え方自体が
意味ないんじゃないか…!?

まわりをこっそり見回す。

私はまだ「闘志」を持っているけれど、
他の編集者たちはもう
すでにあきらめているんじゃないだろうか…!?

そんな疑惑が心を支配し始める。

なぜなら
「闘志」を確認し合うことは
とても難しいから。
自分と仲間が同じくらい「闘志」を持っているかどうかは
本当のところはわからないから。

言ってしまえば
「闘志」を「共有」することなんて、
ありえないのだ。


けれど、
ワールドカップの決勝戦、
なでしこの「闘志」は素晴らしかった。
確かに彼女たちは、
「闘志」を最後まで「共有」して
闘い抜いているように見えた。


「もう勝てないかも…」という気持ちは
3点奪われた時点で
それぞれの胸に芽生えただろう。

それでも彼女たちは走る。
不安や疑惑を抱えているヒマはない。
同点、逆転するために
かけがえのない時間なのだ。


それを観ていて俺たちは気づく。

「闘志」なんていうものは
もともと持っているもんじゃないんだ。
はなから「共有」しているものでもないのだと。

仲間も、そして自分自身も
失いそうになっているのを
お互いに感じているからこそ、
湧き出させるのが「闘志」なのだと。

自分のために。
そして、仲間のために。

だから、観ていて勇気が湧く。
「闘志」を「共有」して走っている
選手たちを見て感動する。


敗戦直後のインタビュー、
涙を流しながら話す
キャプテン・宮間の言葉がぐっとくる。

「最高の仲間です」

その通りだなと思う。

「闘志」を失わなかったからこそ
「悔しくて」涙が溢れ出すのだ。
「闘志」を最後まで共有できた気がするからこそ
「最高の仲間」なのだ。


宮間は日本人女子サッカーの未来を
心配していたけれど、
きっと大丈夫だと思った。

4年前、
「最高の歓喜」を目にしたサッカー少女たちは、
今回、
「最高の悔し涙と闘志」も目撃できたのだ。
強くならないわけがない、
宮間の顔を見ながら、そう思った。


決勝戦、
テレビで観ていた俺の中のMVPは、
近賀ゆかり。
出場はしなかったけれど。

前半33分、
澤と交代した岩清水がベンチに帰ってくる。
顔を手で抑えて号泣している。
4失点が悔しくてたまらないのだ。
責任を感じて涙が止まらないのだ。

その顔を両手で強くはさむ近賀。
ベンチの隣りに座らせて
岩清水の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
そして、
撫でながら近賀は、
自分の顔を上げて、
まっすぐにグランドを見つめる。

慰めているようで、慰めてはいない。
励ましているのだ。
「闘志」を失うなと、あきらめるなと。
岩清水を。
仲間たちを。
そして、自分を。


『予告犯』 [2015/06]

50歳を過ぎて、
最近、死ぬまで診てくれる
主治医がほしいなーと思っている。
tuduku.jpg
実際、
最期に看取ってくれるのは
家族でも友人でもいいし、
ま、一人で死んでいくのも悪くない。

ただ、
例えばどこか遠くの国にいても
一本電話したら、
身体の具合の相談にのってくれる……
そんな心のよりどころにできる医者がいたら
いいなと思うようになった。


映画『予告犯』を観た。

漫画が原作だが、読んでない。
監督は中村義洋、主演は生田斗真。

ネット上に大胆に“予告”をして、
その犯罪を実行する物語……
というのを映画館の予告で見ていたので、
スリリングでショッキングな
ちょいと『スピード』っぽい犯罪映画かと思っていたが、
どちらかというと、
中村義洋監督の『アヒルと鴨のコインロッカー』に近い、
孤独な人間の心が触れ合って
小さいけれどずっと忘れられない
火が起こる……という話だった。

もちろん、そういう意味では
スリリングでショッキングな映画なんだけど。


金がなく、
孤独を抱えて生きる青年が、
仲間を見つけて、
ある目的のために、
犯罪の予告をしていく。

目的が成就する時、
主人公は自分の死を予告する。

彼の抱える孤独さと、
仲間に対する友情が、
観る人の心の中で切なく交差して、
涙をこぼさせる。

生田斗真という役者は、
ふり幅の広い役者だなと思う。
人間が持つ両サイドの部分を持っているというか。

すごく朗らかな部分と、陰鬱な部分。
あたたかな優しさと、クールな残酷さ。
おバカさんなところと、頭が切れるところ。
誰にも好かれる笑顔と、近寄りがたい孤独な顔。

そういう意味で考えると、
この『予告犯』の主人公は
ハマリ役なんだなと思う。

派遣切りに遭い、
生きることが難しくなった“奥田”と、
目的に向かって
すばらしい頭の良さを発揮する“ゲイツ”。

一見、矛盾しているような主人公のキャラクターを
生田斗真という人間の力が
見事にまとめていると思った。


最期の時まで
つきあってくれる医者はまだ見つかっていない。
もしかしたら
ずっと見つからないのかもしれない。

うーん、
なんか不安だなーと思った時は、
『予告犯』のラストカット、
人懐こく笑う生田斗真の顔を思い出しながら、
海岸でも行って
寿司でも食べることにしよう。



『兄弟ゲンカ始末記 運動会編』 [2015/05]

kyodaigenka undokai.jpg

2015年5月19日火曜日。

今週末は小学校の運動会だ。
天気はどうだ?
風邪とかひいてねえか?
弁当のメニューは何にしようか?
親も気をもむ一週間である。


学校では運動会の練習まっさかり。
宿題をやっていた
5年生の長男からご報告。

「よさこいの練習の時、
 俺と○○が褒められたんだよ。
 よく声が出て、
 おしりも深く下がってるって」

おおー、すばらしい。
えらいえらい、
その調子でがんばれがんばれ。


そして、お次は2年生の次男が自慢。

「花笠の練習で、出る時なんだっけ」

退場?

「そうそう退場、退場する時、
 最後までちゃんとこうしていたって」

振付しながら歩いていた?

「そう、
 ちゃんとボクだけこうしていたって
 先生にホメられたんだよ」

おおー、すばらしい。
えらいえらい、
その調子でがんばれがんばれ。


そこで長男がアヤをつける。

「それって普通のことじゃね?」

始まりました。

「そんなのホメられることじゃねーだろ」

また、余計なことを。


「きーっ」

次男が長男の体にケリを入れる。
口より先に足が出るタイプ。

「なんでそういうイヤなこと言うんだよー」
と、次男。

「イヤなことじゃなくて、
 ホントのことだから」
と、全然平気痛くなーいっつー顔をしながら長男。

「ボクはイヤだって言ってんだろー」
と、今度はパンチの次男。

「ホントのこと言われて暴力、
 おまえサイテー」
と、アオリまくる長男。


こうやって兄弟ゲンカが始まる。
ホント、毎度のこと。


夜7時前。
となりの台所で仕事をしながら聞いていたが、
うるさいので二人を叱る。

キミたち、うるさいよ。
蹴ったりパンチしたり、暴力はやめなさい。
兄貴も弟の嫌がることを言うのはやめなさい。
言葉も暴力になるって言ってるだろー。


悔し涙目で次男が述べる。

「わざとボクのイヤなことを言うんだよ!」

はいはいはい。
それは弟がホメられてると悔しいからなんだよ。
兄ちゃんてのは
弟より上にいないと負けた気がしちゃうから
つい足を引っ張っちゃうもんなんだよ。

横で聞いていた長男が反撃。

「違います! 悔しくなんかないし」

あ、ないよな、悔しくなんかない。うん。

「足も引っ張ってないから!
 どっちかっていうと逆だから!」

逆か。

「そういう普通のことでホメられて
 図に乗ってると、
 コイツがダメな人間になっちゃうから、
 言ってやってるんです!」

あー、確かにあるな、あるある。
ホントにがんばった時にホメるのは大切。
でも、やって当たり前のことなら
ホメない方がいいかもな、むしろ。

「ボクはダメな人間じゃない!
 先生だってホメたんだから!!」

叫ぶ次男。
ちょっと論点ずれ気味。
でもまあ、気持ちは伝わる。

「あーあー、かわいそうなやつー。
 普通なことでホメられて喜んでればー。
 ベロベロバー」

兄の尊厳にかけて弟をこき下ろす長男。
ちなみに冷静な顔を装っているが、
やっぱり長男も興奮して、少し涙目。


さてさて。
ずっと二人の言い分を聞いている
時間も根性もないので、
そろそろ話のテーマを絞らなくっちゃな。
ま、今回は決まってる。
テーマは「普通」だ。

8対2くらいの割合で長男と目を見て話す。
どうせ、次男は長男の影響を
バリバリ受けながら生きていくので。


うんうん、「普通」ね。
確かに普通なことで誰かをホメても意味はない。
でも、「普通」ってのは難しいんだよ。

「難しくないでしょ! 普通は普通でしょ!」

その通り。
退場の最後まで演技し続けるのは「普通」。
運動会の本番ではみんながやり切ること。
でも、まだ今日はみんなできなかったんだな。
わかる?

「1年生も一緒だからだろ!
 小さなのと比べてできただけじゃん」

そう。
1年生はまだ学校通い始めたばっかだしな。
父ちゃん見てないけど、
1,2年生が一緒にやる今日の練習で
最後まで踊ったのは……
グランドを出る瞬間まで振り付けしていたのは、
たぶん、この弟だけだったんだな。
だから、先生はホメた。
普通のこと、当たり前のことだけどホメた。
ホメたのには理由がある。
狙いがあるんだな。
みんなができるようにしたい
っていう狙いがね。

「みんながみんな
 同じになんてならないし!」

確かに、そうかもしれない。
っていうか、全員が同じにならなくてもいい。
でも、みんなの力を上げていく、
「普通」を徐々に上げていくのが大事なんだよ。
サッカーの日本代表もそう。
おまえらの学校の勉強とか運動会もおんなじ。
……それに練習していけば、
お前らはどんなことだってたいてい
できるようになるんだよ。

(お前らはできるようになる)

びくっ。
この言葉を子供たちにしゃべりながら、
実は俺自身の中で軽くスイッチが入る。

(お前らはできるようになる……
 でも、俺はできるようになるのか?)

自分の言葉を反芻しながら、
自問自答している。
ちょっとドキドキしながら、
長男の返答を待つ。

一、「どんなにがんばったって
   できるようになんかならないよ!」

二、「そんなこと言う父ちゃんだって、
   ホントはできないことだらけじゃん!
   偉そうに説教すんなよ!!」

どっちが来るんだ?
一のあきらめムード型の答えか?
それとも、二の大人の現実型か…?

ドキドキドキドキ。
どっちの答えが返ってきても動揺しないように、
身構えながら待つ。

だが、返答は
予想しているものとは違う。

「でも、みんなができるようになったら
 俺がホメられなくなるじゃん」

かーっ。
そう来たか。
一気に心の温度が上がる。

こいつら、
自分の可能性をまったく疑っちゃいねえ!
おまけに、
オレたち大人の可能性も疑ってねえ!
なんという無防備な自信。
なんというおバカな自分達への信頼感。

うらやましい。
ジェラシーが湧いてくるのを感じている。
頭に血が上るのを抑えながら、
極力、声を低くしてしゃべる……。

そうだな。
確かにみんなができるようになると、
キミはホメられなくなるな。
うんうんうん。
それは残念だけど、大丈夫。
また、ホメられるようになるから。

「ん? なんで?」

まず、みんなが何かをできるようになると、
お前の仲間の中に
もう少しがんばるヤツが出てくるんだよ。
そしたらその子を先生がホメて、
みんなでまた「普通」を
レベルアップしていくんだな。
それを見ていると、
お前や弟も悔しくなって、
自分がまたホメられたくなって、
もう少しがんばるヤツになっちゃうんだ。

「そんなの大変じゃん!」

ま、大変なんだけどな。
そうしちゃうんだよ。

(オレはもうそんなことしないけど……
 ていうより、できないけど)

「そんな大変だったら、
 俺一人だけできて、
 低いレベルの中でホメられてたほうが
 全然マシだよ!」

(おいおいおい。
 それを言ったら、
 さっき弟に言ってたように
 お前自身が
 ダメな人間になっちゃうんじゃないかい)

などという言葉を言って長男を怒らすのは
野暮だし、
この日は「普通」のとらえ方講座なので、
別の言い方でここでは諭す。
ゆっくりと、本気スイッチ入りっぱなしで。


だから大丈夫だって。
どうせ、お前も弟も負けず嫌いだから、
「普通」じゃ我慢できないし、
「普通」を上げてくから、どんどん。
オレが止めたって、
お前も弟も、
お前の友だちも、
子供ってやつはバリバリ成長していくんだ。
だから父ちゃん、安心してるんだ。

「………」

ちょっと黙る長男。
微妙にホメられた感じがすると、
行き場をなくして言葉が出なくなるのだ。
次男は、半分聞き役に回されているために
もうすっかり冷静。

たぶん、オレが一番興奮している。
負けた感と嫉妬を抱えて。
ま、バレないように隠してるんだけどね。


じゃあ宿題やっちゃいな。
今日の晩ごはんはお好み焼きだー。


なんとなく一段落ついてしまって、
しょうがないな……という顔で
宿題を再開する兄弟。

もともと、
宿題がやるのが面倒くさくって、
現実逃避しようとして、
10歳と7歳の兄弟はケンカを始めたのだ。

何べんも何べんも繰り返す兄弟ゲンカ。
ホント、いつものこと。
そのたびに、
説教しているオレだけが
自分を見つめ直させられて、
本気になってしまう。


4日後の5月23日土曜日。

晴天のもと、
無事に運動会は開催されました。

100mの徒競走、
最後に追い抜かされて、長男は2着。
50mの徒競走、
出負けして追い上げるも届かず、次男も2着。

5年生の「よさこいソーラン」では
ほぼ全員のおしりがぐっと下がり、
声もよく出ておりました。

1,2年生の「花笠」も、
ほぼ全員が退場の瞬間まで
花笠をきちんと振っていました。

ほっと、一安心。


運動会の終盤、恒例の種目がある。
毎年、手に汗握り、
涙をにじませながら見ている。

6年生、組み体操。

一人ずつから二人組、三人組、
……やがて
全員で一つのピラミッドを作っていく。

全然「普通」のことではないことを
まるで「普通」のことのように
成し遂げていく
恐るべき子供たちの力。

今年もまた、
涙をにじませながら見た。

感動の中に、
嫉妬心が少し混じっていた。



    おわり。ケンカは終わらんが。

田代島 猫旅日記 その4 [2015/04]

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『田代島 猫旅日記』その4

クールにたむろってる大泊の美猫に
後ろも振り返らずサヨナラして、
来た道と違う道で仁斗田の集落に戻る。

ちょっと不安になって、
軽トラのおじさんと話をしている
箒を持ったおじさんに道を尋ねる。

こっち行くと、猫神社とか仁斗田の方ですか?

「んだね。まっすぐ行くと猫神社だ」

まっすぐですね?

「まっすぐと言っても、曲がってるところもあるから、
 そん時は道なりで」

はい!

「途中の脇道入ると、
 出てこられなくなって、
 一生そこで暮らすことになるから」

箒のおじさんの笑い声を聞きながら、
帰り道の坂を上っていく。


『猫神社』の横を通りすぎて、
nekojinjakanban.jpg

おいおいこんなところまで来てるのかと
「ネコ太郎」の行動範囲の広さに驚いて、

下り坂を歩いて、

民宿に一度戻って、

いつのまにか好きなタイプになった
白黒ブチ猫の頭をなでて、

他の猫もぼやーっとながめて、
heineko.jpg

子供たちと荒れた海に向かって石を投げて、

お昼ご飯はカップ麺のうどんを食べて、

またいろんなところで猫をながめて、
nakayoshineko.jpg

今度は荒れてない海に向かって石を投げて
子供たちと水切りの回数競争をして、
ishinagekyodai.jpg

「ちゃめ子」と同じ目つきの猫に出会って
その意外な血の広がりに感心して、

またぼんやり猫をながめて、
neko3biki.jpg

田代島の一日が終わっていった。


二泊目の夕飯は
小さめのホヤを煮た料理がうまかった。
ずっと食べ続けていたい味だった。
試しに、
ウイスキーの水割りの缶を開けて
ホヤといっしょに味わってみたが、
かなりいける味だった。

世の中、
知らないことが多すぎるなと思った。
ninomiyakinjironoup.jpg

前夜とは違う写真集、
でもやっぱり田代島の猫の写真集を
子供たちに読んでやって、
自分の布団に入って目を閉じる。

窓ガラスを叩く風の音がしない。

プロが笑顔で言っていた通りだった。

翌日、
『網地島ライン』は通常通り運航した。

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右足の親指をかばって歩いていたせいか、
今度は左足の甲が痛くなった次男と
船着場へ向かって
ゆっくり港の堤防を歩いていたら、
トムキャット柄の黒白猫がついてきた。

その後ろから、モサモサの茶色。

そして、その後ろから白黒の猫……。


石巻行きの船が来た。
船に乗り込む。
窓から堤防を見たら猫が三匹並んでいる。

お見送りしてくれてるのか。
いや、どっちかというと、
誰か降りてこないかと見に来たんだろう。


船が出ると同時に、
トムキャット猫が
もといた網置き場の方へと
歩いていく姿が見えた。


      『田代島 猫旅日記』おわり

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      →その1からまた読む?
      →その3に戻る

田代島 猫旅日記 その3 [2015/04]

tashirojimazenkei.jpg

『田代島 猫旅日記』その3

ピンポンパンポーン。

朝、5時半ごろ、
民宿で目が覚めてぼやーっとしていたら、
島内放送が聞こえてきた。

「本日、7時40分の石巻行の網地島ラインは
 欠航となりました」

というようなことを言っている。

やっぱりだー。
80%の確率だもんな。
今日は船が出ない。
田代島でもう一泊することが決定。

aretaumi.jpg

ヒジキ煮と
海藻入りの味噌汁がたまらない
朝ごはんをいただいて、
またまた島の散策に出かける。

とりあえず、
「おかあさん」こと「ちゃめ子」に
挨拶したいという次男と近所に出かけて、
猫をながめていたら、
なぜだか次男が足を痛めている。

どこでなにしたんだか、
本人も分からないが
とにかく右足の親指が痛いらしい。

しょうがない。
足が痛くて歩くのが嫌な次男と
“朝は布団が大好き”な長男を民宿に残して、
田代島のもう一つの集落、
大泊まで行ってみることにする。


結構しんどい坂道を上って、
帰りにまた上るかと思うと
ずーんと気が重くなる坂道を下って、
大泊の集落に到着。

oodomarinekomark.jpg

大泊には猫がいないという噂を
ネットかなんかで仕入れていたのだが、
実際には、猫はいた。

数は少ないが、
6匹くらいの集団でたまっている。

近くを通ると、
そのうちの一匹が少しだけ近づいてきた。

軽くなでたが、
すぐにさっと身を引いた。
全般的に仁斗田の猫ほど
知らない人間にはなついてないようだ。

何より違うのが、
この大泊で出会った猫たちは、
わりと脚が長く、
顔も体もすらーっとしていることだった。

言ってみれば、美猫の一族だった。
俺の好きなタイプだな、と思った。


ツイッターやら
フェイスブックを使うようになってから、
自分の人生で大きく変わったことが一つある。

他人が飼っている猫、
しかも、かなりカワイイ猫を
「自動的に見せつけられる」ようになったことだ。

猫や犬が飼えない借家に住んでいる身としては、
かなりうらやましい気持ちにさせられる。

実際、
猫や犬を飼える家に住んでいたとしても
飼わない可能性は高い。

だが、人間というのは
「ないものねだり」が激しい動物だ。

人様の愛する猫を見せられるだけで、
自然、
妬みとか敗北感を
胸の中にふつふつと湧き上がらせているのだ。


そんなことを
田代島大泊地区の美猫、
わりと好きなタイプの猫を見ながら考えていた。

その時、自分の中で起こっている
ちょっとした異変に気がついた。

今、
グレイの美猫を目の前にして、
思い浮かべているのは
仁斗田の白黒ブチ猫なのだ。

shirokurobuchi.jpg

「ちゃめ子」の後ろから現れる
もしかしたら「ちゃめ子」の息子かもしれない
太った丸顔のブチ猫。

目からヤニが出まくっていて、
脚も短く、
歩き方もよたよたしていて、
今までの俺の価値観では
「あんまり好きじゃないタイプ」の猫が、
目の前の美猫よりも
好きになっていることに気づいたのだ。


仁斗田集落と大泊集落の
真ん中あたり、
山を上って行ったところに
田代島小学校の跡地がある。

廃校となった小学校。
tasirojimashougakkou.jpg

校舎は取り壊されていてすでにないが、
体育館と、
二宮金次郎像は立っていた。

二宮少年の像と
白黒ブチ猫の顔を思い出しながら、
旅効果だなと思った。

ninomiyakinjjiro.jpg

自分自身でも知らなかった
自分の嗜好や楽しみを知ること。
そのために
田代島まで来たのかもしれないと思った。


        →その4に続く
        →その2に戻る


田代島 猫旅日記 その2 [2015/04]

tashirojimazenkei.jpg

『田代島 猫旅日記』その2

一息ついたところで、島散策へ。

仁斗田で一つだけある商店の前、
若いお兄さんがカップ麺の蕎麦を
階段状の地べたに座って食べている。
その周りに群がっている猫。
15匹くらい。

上り坂を登っていく。
また、猫の集合場所がある。
8匹ぐらい。
見ているとその中の一匹が寄ってくる。
すると、
もう一匹が近づいてくる。
すると、
また別の一匹も近づいてくる。
daburuneko.jpg

こういう猫のたまり場所が
この田代島にはいくつかあるのだが、
同じようなことがどこでも起きる。
好奇心が強いのか、
人間が好きなのか、
食べ物が欲しいのか、
とりあえず一匹が近寄ってくると
他の猫もなんとなく近づいてくる。

そして、
その場を去っていくと、
一匹か二匹がしばらく後をついてくる。
振り返ると、猫がいる。
だるまさんがころんだ、みたいな。

また、
ひとつのたまり場の猫たちは
なんとなく目つきが似ている。

シマ猫、ブチ猫、黒猫、茶色猫、灰色猫、
短毛なの、モサモサなの……
色や柄や毛の長さは違っても、
同じ一族な感じがする。
いろいろなパターンで血がつながっているのだろう。


上り坂をもっと登っていって、
大泊集落方面へ降りるちょっと手前、
田代島名所のひとつ、
『猫神社』にお参り。

nekojinja.jpg

ふと見ると、
ベンチの上で寝ている大きめの猫。
顔が丸く太ったシマ猫。
おっさんぽい。

横に座ってなでていたら、
母娘がやったきたので、
こんにちはーと挨拶したら、
その中学生くらいの娘が
感激丸出しの声で叫んだ。

「ネコ太郎!」

聞けば、
このおっさんぽい猫のネコ太郎、
けっこう有名な猫らしい。
ネコ太郎ブログもあるんですよと
お母さんのほうが教えてくれた。

nekotaro.jpg

民宿にいったん戻って、
道具を持って、釣りをするため堤防へ。

魚影が薄い。
というか、まるでいない感じ。
まあ、釣れなくてもいいやと
青イソメを針につけて糸を垂らす。

ajisimanoturi.jpg

やっぱりアタリがないなあと思いながら
ふと横を見ると、
猫がいる。
遠めから近づいてる最中の猫も数匹。

仁斗田港周辺の一族には、
顔が丸く大きいタイプが多い。
脚が短めなのは、
仁斗田集落の猫全般の特徴。

魚、こないねえ、
まだ眠ってるのかなあ……
などと猫に話しかけたりしながら
数か所で糸を垂らしてみたが、
釣れる気配がない。
風が冷たくなってきたので竿をしまい、
民宿へ戻ると、また
「おかあさん」とその仲間が迎えてくれた。


夕飯まで少し時間があったので、
『マンガアイランド』という場所にも行ってみる。

ネコ型のロッジがいくつか建ったキャンプ地。
シーズンオフで今は閉まっているが、
猫は10匹くらいたまっている。

nekoisland.jpg

左目が病気で潰れかかったシマ猫と
右目がない茶色モサ猫が、
追いかけっこをしながら、
コンビで後ろをついてくる。

茶色モサのほうは妊娠しているのだが、
時折、すごい勢いでジャンプしたり
いきなり走り出したりするので、
いっしょに歩いているこっちが不安になる。
何の心配もいらないのだが。

nekoislandcupple.jpg

アワビとナマコ。
大好物。
俺にとって最高のご馳走が入った夕飯をいただき、
風呂で温まってから、
布団に入る。

絵本の代わりに、
民宿に置いてある写真集を子供たちに読んでやる。
田代島の猫の写真集。

すると、
俺たちが「おかあさん」と呼んでいるシマ猫は、
この民宿のお父さんが飼っている
「ちゃめ子」という名の猫だとわかった。

小柄で、じゃれついてくるから
若い母猫かなあと思っていたら、
けっこうなベテラン母猫であることもわかった。

電気を消して、目をつぶる。

ヒュー、ぎしっ。

窓が揺れる音を聞いて、
風が強くなってきたなあと思いながら
眠りについた。

        →その3へ続く
        →その1に戻る


田代島 猫旅日記 その1 [2015/04]

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『田代島 猫旅日記』その1


猫の島、宮城県の田代島に行った。

と言ったら、
猫好きの人たちの反応が次々と返ってきた。

「田代島行ったんだ!
 なんで、どうして、私も行ってみたーい」

的な。

むむ。
有名なんだな、田代島。
その田代島になぜ俺は行ったんだろう?
振り返ってみる。


春休みだ、どっか旅行に行こう!
と思ったところで、まず、
「東北」か「東北じゃない」かの選択がある。
旅行を計画する時、いつものこと。
放射能とかの話じゃなく、
時間的距離的な問題として。

今回は東北に行けそうだ、ってことになって、
じゃ、東北のどこに行こうかと考える。

この前観た映画『くちびるに歌を』を思い出す。
島がいいなと思う。
ガッキーみたいに船に乗っていくのがいいなと思う。
ただ、そうすると少し時間がかかる。
何かと文句を言う生意気次男がうるさいかもしれない。

じゃあ猫だ。
猫の島なら、
動物好きの次男はぶつぶつ言わないだろう、
ということで、
どっかで猫の島だと聞き知っていた
田代島を目的地にしてみた。

じゃあ宿だ。
田代島の宿は楽天トラベルとかじゃらんでは
予約できない。

一番ご飯が旨そうな気がする…
そう思って『網元』という民宿に電話した。

4月2日に一泊したいんですけど。
おばあちゃんがちょっと間をあけてから、

「猫見にくるんかい?」

と言ってくれて、
そうですそうですと答えて、予約できた。
よかった。

仙台に前乗り、一泊して、
次男の同じ名前の青葉城跡に登ってから、
aobajo.jpg

石巻にある『網地島ライン』の船乗り場へ。

ここから田代島への船に乗る。

11時52分、出発の8分前、
急ぎ足でチケット売り場に入ったら
『網代島ライン』の人が訊いてきた。

「日帰りかい?」

いいえ、一泊します。

「うーん、明日は船、出ないかもよ」

え?

「出たとしても、朝7時40分の船だけかなあ」

マジですか?

「まあ、朝一番の船も80%出ないと思う」

80%欠航。なんで?

「明日は風強いから」

天気荒れるんだ、今日はこんなに快晴なのに。

「泊まると明日帰ってこれないかも。どうする?」

ちょっと悩む。
もう時間がない。
明後日は? 船出ます?

「あさっては……たぶん大丈夫だな」

その笑顔にプロの自信を感じた。
じゃあ、行きます。
船乗ります! チケット買います!!

チケット購入は自販機。
でも、なかなか千円札が入っていかない。
『網地島ライン』の人が
上手に千円札を入れてくれては
ボタンを押してチケットを買ってくれる。
コツがあるのだ。

足早に船に乗ったら、
船はすぐに港を出た。
ajishimaline.jpg

船に乗ること約45分……
同じ田代島の大泊港に寄ってから、
仁斗田港に到着。
ちょっとドキドキしながら船を降りる。
降りたのは俺たち家族を含めて7人。
船はこの後、終点の網地島へと向かう。

堤防を歩いていると、
向こうから電動バッテリーカー、
いわゆるシニアカーに乗った
民宿のおばあちゃん、
いや、おかあさんと呼びたい感じの
ご婦人が迎えに来てくれているのが見えた。

む。むむむ。
お約束通り、そこやここやに猫がいる。
でもなんか思ってたのとちょっと違う。
長毛種が多いのだ。
モサモサが半分くらい。
mosamosa.jpg

猫に忍び寄ったり、かまったりして、
まっすぐ歩かず進むのが遅い子供たち。
それを待って、時々シニアカーを止めながら、
おかあさんが
民宿まで案内してくれた。


部屋に荷物を置いたところで、
とりあえずご相談。

明日は船が欠航するかも……
と、船会社の人が言っていたんですが。

「あらまあ」

出るとしても朝7時40分の便なので、
もし出たらそれで帰るつもりですが、
もしその船も出なかったら、
すみませんが
もう一泊泊めてくれませんか?

「明日、お客さん来るんだよねえ」

と予約状況に頭を巡らせるおかあさん。

でも、そのお客さんたちも船が出なかったら
島にはやって来れないので、
当然、部屋は空くことになる。
ので、大丈夫。
欠航の時には一泊の追加をOKしてもらう。
ああ、よかった。

ホッとしながら玄関を出ると、
さっそく猫が寄ってくる。
一匹、二匹、三匹四匹五匹六匹……
tashironeko1.jpg
一番最初にやってきた
小さめのシマ猫が、
ごろんごろんとお腹を見せる。

妊娠してるじゃん。

耳の後ろを掻いてやると、
じゃれて甘噛みしてくる。

とりあえずこのシマ猫を
「おかあさん」と呼ぶことにする。
chameko.jpg


          →その2に続く

田代島 後編 [2015/04]

猫の島、田代島へ行った…のつづき。

tashironeko2.jpg
ピンポンパンポーン。

朝、5時半ごろ、
民宿で目が覚めてぼやーっとしていたら、
島内放送が聞こえてきた。

「本日、7時40分の石巻行の網地島ラインは
 欠航となりました」

というようなことを言っている。

やっぱりだー。
80%の確率だもんな。
今日は船が出ない。
田代島でもう一泊することが決定。

ヒジキ煮と
海藻入りの味噌汁がたまらない
朝ごはんをいただいて、
またまた島の散策に出かける。

とりあえず、
「おかあさん」こと「ちゃめ子」に
挨拶したいという次男と近所に出かけて、
猫をながめていたら、
なぜだか次男が足を痛めている。

どこでなにしたんだか、
本人も分からないが
とにかく右足の親指が痛いらしい。

しょうがない。
足が痛くて歩くのが嫌な次男と
“朝は布団が大好き”な長男を民宿に残して、
田代島のもう一つの集落、
大泊まで行ってみることにする。


結構しんどい坂道を上って、
帰りにまた上るかと思うと
ずーんと気が重くなる坂道を下って、
大泊の集落に到着。

大泊には猫がいないという噂を
ネットかなんかで仕入れていたのだが、
実際には、猫はいた。

数は少ないが、
6匹くらいの集団でたまっている。

近くを通ると、
そのうちの一匹が少しだけ近づいてきた。

軽くなでたが、
すぐにさっと身を引いた。
全般的に仁斗田の猫ほど
知らない人間にはなついてないようだ。

何より違うのが、
この大泊で出会った猫たちは、
わりと脚が長く、
顔も体もすらーっとしていることだった。

言ってみれば、美猫の一族だった。
俺の好きなタイプだな、と思った。


ツイッターやら
フェイスブックを使うようになってから、
自分の人生で大きく変わったことが一つある。

他人が飼っている猫、
しかも、かなりカワイイ猫を
「自動的に見せつけられる」ようになったことだ。

猫や犬が飼えない借家に住んでいる身としては、
かなりうらやましい気持ちにさせられる。

実際、
猫や犬を飼える家に住んでいたとしても
飼わない可能性は高い。

だが、人間というのは
「ないものねだり」が激しい動物だ。

人様の愛する猫を見せられるだけで、
自然、
妬みとか敗北感を
胸の中にふつふつと湧き上がらせているのだ。


そんなことを
田代島大泊地区の美猫、
わりと好きなタイプの猫を見ながら考えていた。

その時、自分の中で起こっている
ちょっとした異変に気がついた。

今、
グレイの美猫を目の前にして、
思い浮かべているのは
仁斗田の白黒ブチ猫なのだ。

「ちゃめ子」の後ろから現れる
もしかしたら「ちゃめ子」の息子かもしれない
太った丸顔のブチ猫。

目からヤニが出まくっていて、
脚も短く、
歩き方もよたよたしていて、
今までの俺の価値観では
「あんまり好きじゃないタイプ」の猫が、
目の前の美猫よりも
好きになっていることに気づいたのだ。


旅効果だなと思った。

自分自身でも知らなかった
自分の嗜好や楽しみを知ること。
そのために
田代島まで来たのかもしれないと思った。


帰り道の坂を上って、

『猫神社』の横を通りすぎて、

おいおいこんなところまで来てるのかと
「ネコ太郎」の行動範囲の広さに驚いて、

下り坂を歩いて、

民宿に一度戻って、

いつのまにか好きなタイプになった
白黒ブチ猫の頭をなでて、

他の猫もぼやーっとながめて、

子供たちと荒れた海に向かって石を投げて、

お昼ご飯はカップ麺のうどんを食べて、

またいろんなところで猫をながめて、

今度は荒れてない海に向かって石を投げて
子供たちと水切りの回数競争をして、

「ちゃめ子」と同じ目つきの猫に出会って
その意外な血の広がりに感心して、

またぼんやり猫をながめて、

田代島の一日が終わっていった。


二泊目の夕飯は
小さめのホヤを煮た料理がうまかった。
ずっと食べ続けていたい味だった。
試しに、
ウイスキーの水割りの缶を開けて
ホヤといっしょに味わってみたが、
かなりいける味だった。

世の中、
知らないことが多すぎるなと思った。


前夜とは違う写真集、
でもやっぱり田代島の猫の写真集を
子供たちに読んでやって、
自分の布団に入って目を閉じる。

窓ガラスを叩く風の音がしない。

プロが笑顔で言っていた通りだった。

翌日、
『網地島ライン』は通常通り運航した。


右足の親指をかばって歩いていたせいか、
今度は左足の甲が痛くなった次男と
船着場へ向かって
ゆっくり港の堤防を歩いていたら、
トムキャット柄の黒白猫がついてきた。

その後ろから、モサモサの茶色。

そして、その後ろから白黒の猫。

石巻行きの船が来た。
船に乗り込む。
窓から堤防を見たら猫が三匹並んでいる。

お見送りしてくれてるのか。
いや、どっちかというと、
誰か降りてこないかと見に来たんだろう。


船が出ると同時に、
トムキャット猫が
もといた網置き場の方へと
歩いていく姿が見えた。


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